第3話



 再び、下水道の旅が始まった。暗く、水の流れる音だけが絶え間なく続く、悪臭だらけの下水道。ひたすらまっすぐ歩いていると、その水路は二股に分かれた。
「どっちへ行く?」
 パッチールは聞いた。果物いりの風呂敷を背負ったエレキッドはしばらくうなった。パチパチと電気がツノの間で流れる。数秒後、電気が収まり、エレキッドは言った。
「右にしよう。左はさ、なんだかヘドロくさい」
 下水道なのだからどこもかしこもヘドロくさいものだが、下水道の悪臭になれたエレキッドの嗅覚でさえも、左側の通路から、より強いヘドロの匂いが漂ってくるのをかぎつけたのだ。おそらくこの近くにベトベターがいるのだ。下水道を住処としている彼らは、こちらから敵意を見せない限り襲ってくることなど無いのだが、今は会いたくない。
「では、右に行くでござる」
 エルレイドは元気よく足を進めた。パッチールはいやいやながら足を進めた。
 どのくらい歩いたのか。少し足が疲れてきた。ちょっと座って休みたくなった。しかしマンホールの出口は見つからない。
 気のせいだろうか。疲れに伴って、ヘドロのにおいがきつくなってきたような気がする。ちょっと歩くのをやめようとエレキッドは二人に提案しようとした。
「むっ」
 不意にエルレイドが前に飛び出した。頭のツノがピリピリと小さくゆれているのが見える。
「なにやつ!」
 腕を引く。刀に手をかける動作のつもりだろう。しかし、いきなり前に飛び出したという事は――
「誰かいるの?」
 パッチールが小さな声を出した。エレキッドは動けない。エルレイドは身動きひとつせず、前方の闇を見つめている。
 前方から、ぷうんとただよう、強烈な悪臭。わずかに肺に入れただけで、吐き気を催してしまう。それほどの強いにおいだ。そして、闇の中から何かのうごめきが見えてくる。複数いるようだ。そのうごめく物たちは徐々に近づいてくる。パッチールは思わず足を震わせ、エレキッドはツノからパリパリと静電気を流す。
「げへへ、なにやつはねえだろうよ」
 闇の中から、やや明るい場所へ姿を現したのは、巨大なベトベトンだった。後ろに、ベトベターたちが大勢控えているのが見える。
「なーんだ、ベトベトンか。びっくりしたあ」
 パッチールは胸をなでおろした。この町の下水道の治安を牛耳るボスなのだ。誰でも顔は知っているし、ベトベトン自身、誰かを襲わせることはめったにない。下水道の見回りと日光浴で満足して日々をすごしているのだ。
 ベトベトンは、聞いた。
「お前ら揃って、下水道の中で何やってんだあ? 人間に頼まれてマンホールの修理でもしにきたかあ? それとも、おれらの仲間になりたくて来たのかあ? ま、仲間になるって言っても、こっちからお断りするけどな。お前らみたいなドブくさくないやつが仲間になるなんて考えられん」
 後ろのベトベターたちが笑った。
「オレたちはさ、旅してるだけなんだよ」
 エレキッドは、胸のむかつきを懸命にこらえ、言った。
「旅だってえ? お前らみたいなドブくさくない奴は、日の光の下で旅をするほうがお似合いだろ」
 ベトベトンが体をゆすって笑うたびに、小さなヘドロの飛沫が飛び散った。
「旅は旅でも、オレたちは、あの都市伝説の町を探してるんだよ!」
 エレキッドは、ツノの間から電気を発した。威嚇にもならないが、相手に話をまじめに聞かせるには役立ったようだ。
「都市伝説う?」
「うん。地下水道のどこかに、秘密の道があってさ、そこをたどっていくと、ポケモンばかりが住む町があるってやつ。知ってるだろ?」
「おう、知ってるぜ。だが、ただの都市伝説だろう? おい、まさかお前ら、その噂話にしか語られない場所を目指してるってえのかあ?」
 下水道に、ベトベターたちの笑い声がこだまして、エレキッドたちは思わず耳をふさいだ。
「そ、そうだよ、いけないのかよっ」
「いけねえって事はねえけどよお、お前らのピクニックを台無しにしちまうようで悪いが、おれらはここらの下水道の事は何でも知ってんだぜ。どのマンホール開ければどの道路に出るかってことも、いつ修理が行われるのかってことも。だてに下水道の見回りしてるわけじゃあない。人間は面白いからな、こんな住み心地のいい場所をあちこちに作るんだから、探検のしがいがあるってもんさ。つまりだ、この下水道の中には、都市伝説で語られる、ポケモンしか住まない都市に通じる道なんてのは、どっこにもないんだよ。もしあったなら、とっくにおれらが発見してるぜ。残念だったなあ!」
 ベトベトンはげらげら笑った。悪意はないのかもしれないが、さすがに笑われると腹が立つ。
「だーかーらー、お前らがいくら探してもムダムダ。早くおてんとさんの下に出るんだな。そうしないと、マジでおれらの仲間になっちまうんだぜ〜。おてんとさんの好きなお前らにゃ、にあわんだろうなあー、なあお前ら?」
 またしてもベトベターの群れが大笑いした。パッチールは耳を伏せ、その上から両手で耳を押さえた。一番耳がいいぶん、ベトベターの笑い声が一番よく聞こえるのだ。
 ベトベターたちはひとしきり笑った。ベトベトンは、ぶよぶよした体をくゆらせつつ、子分たちに言った。
「おうい、東の処理場へ行くぞ。今日は西の処理場が掃除をする日だからな、あそこまで行けば、たまったヘドロん中で日光浴できるぞ」
「おー」
 ベトベターたちは、親分の言葉に素直に従い、うぞうぞと元来た道を引き返した。最後にベトベトンも、くるりと向きを変える。
「そんじゃーな、お前たち。下水道のピクニックはほどほどにしとくんだな」
 ベトベトンが去った後、ヘドロくささは一気に薄れた。
「げえ、気持ちわるう」
 パッチールは耳から手を離した。ベトベターたちがいなくなってほっとしたとたんに、下水道本来の悪臭にさらされたので、胸焼けがまた起きた。パッチールは下水の中にまた胃液を吐き出した。エルレイドは目を閉じて我慢している。
「で、ベトベトンあんなこと言ってたよ」
「……」
「下水道にくわしいベトベトンがああ言ってるんだよ。ポケモンしか住まない都市があるなんて、やっぱりただの都市伝説に過ぎないのよ」
 パッチールは、同意を求めるようにエルレイドを見るが、あいにくエルレイドは吐き気をこらえて目を閉じていたので、同意を得ることはできなかった。
 エレキッドは、振り向いた。
「確かに、ベトベトンの言う事には一理あるよ。あいつら、この町の下水道のことは何でも知ってるからね。でも、オレはあきらめたくない」
「あきらめたくない?」
「うん。ベトベトンたちは確かに下水道のことには通じている。でもさ、それは人間が作った下水道と処理場の通路を探検したからさ。何かの力で隠された通路があるとは一言も言ってない。オレは、それを探すんだ!」
「えー……もおヤだよお」
「イヤなら、オレひとりでも探すっ。なかったらなかったで、あきらめる。町中の下水道を一周してでも探すっ」
「そこまで意地を張らなくてもいいじゃないの……」
「意地じゃないっ」
 パッチールから見れば、ただ単に意地を張って探そうとしているだけだ。パッチールは頬を膨らませ、何か言い返そうと口を開いた。
「あい待たれよ、ご両人!」
 それより早く、エルレイドが割って入った。
「この場でのいさかいはよろしくない。一度、外へ出て頭を冷やさねば」
 少し先で、マンホールが見つかった。押し上げてみると、そこは墓地の裏手の小さな裏道であった。墓地に備え付けてあるバケツとひしゃくを使って、水道の水を汲み、体を洗う。太陽はだいぶ西へ傾いてきた。遠くに見える大きな置時計を見ると、夕方四時を指していた。エルレイドの言葉通り、冷たい水を頭から浴びたエレキッドとパッチールは、体をふるって水気を落とした。
 きれいに洗った後、エルレイドは咳払いした。
「さて、ご両人。禊をしたところで、頭も体もスッキリしたでござろう。これからどうすべきかについて、何か考えがおありか?」
 石畳に座ったエレキッドとパッチールは、しばらく口を閉じていたが、同時に言った。
「このまま探検は続ける!」
「もう止める!」
 スッパリわかれた意見だったが、エルレイドはそれを予想できていたようだ。
「見事に分かれたでござるな。エレキッド殿は、このまま続ける。パッチール殿は、もう止める。では、なぜそうしたいのかをお聞かせくださらんか?」
「オレは」
 先にエレキッドがしゃべる。
「都市伝説に過ぎないのか、それとも本当にあるのか、町中の下水道を回って確かめてみたいんだ。ベトベトンは、そんなの無いって言っていたけど、それが本当なのかを自分の目で確かめたいんだよ」
 次にパッチールがしゃべる。
「アタシは、もう疲れちゃったの。都市伝説なんてしょせん噂話のたぐいでしょ。町があるって事は人間の手が入っているのと同じだし、アタシたちポケモンはどこにでも住めるもん。ポケモンだけが住む町ってことは、ゴーストタウンかもしれないじゃん。つきあってあげてたけど、ベトベトンの話を聞いた今じゃ、行くだけ無駄ってカンジ」
 両者の意見を聞き終え、エルレイドはしばらく目を閉じていた。やがて目を開ける。
「あい分かった。それではこのようにしてはいかがか? 拙者としては不満の出ぬようにと考えた末での提案でござるが」
「どんなの?」
「今日一日だけ、もう少し下水道の探検を続けてはいかがでござる? そのまま探検を続けて何も収穫が無ければ、パッチール殿は探検の隊員から外れていただくということでよろしいか?」
 エレキッドとパッチールは互いの顔を見合わせた。そして、それでいいと、両者ともうなずいた。
「まあ、それならいいわ」
「よっしゃ。決まり! 今日何も収穫が無くても、オレは続けるかんな!」
 立ち上がったところで、エレキッドは聞いた。
「で、エルレイドはどうしたいんだよ?」
「拙者は」
 エルレイドは咳払いした。
「エレキッド殿と探検を続けたいのでござる。都市伝説で語られる、ポケモンだけが住む町は必ず見つかるはず」
 その自信はどこから出てくるのかと、パッチールは首をかしげた。
(アタシだったら素直におりるけどなあ。エルレイドも意地っ張りなのかしら)
 エレキッドは、先ほどの疲れはどこへやら、ピョンピョン飛び跳ねた。
「じゃあさ、パッチール。もう少しつきあってくれよ」
「しかたないわねー。今日だけよ。何も収穫なかったら、アタシはおりるからね」


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