第4話



 下水道に降りる前に、やや臭うリンゴで腹ごしらえをする。それから、再びマンホールから下水道へと降りた。半日以上この中にいたので、少々のニオイにはもう慣れてしまった。ベトベターたちが近くにいる場合は別だが……。
 がんばるぞ、と意気込むエレキッドの横で、パッチールは肩を落としていた。
(あーあ、単純なヤツねえ。それにつきあうアタシもお人よしだけど)
 エレキッドは、エルレイドの腕を引っ張りながら先へ進んでいく。パッチールは遅れないように早足で歩く。
「オレ方向感覚なくしそうだよ。こっちからきたのか、あっちからきたのか、わかんなくなった」
「拙者たちは、こちらから来たのでござる。このまま進めば大丈夫でござるよ。このまま行けば、行き止まりではなくて正しい道に進めるのでござる。拙者が保障いたす」
(何であんなに自信たっぷりに返事できるのかしら)
 パッチールは、エルレイドを見て、不思議に思った。
 道は二股に分かれている。
「で、どっちへ行くの」
 パッチールが聞いた。エレキッドは、ツノの間で静電気をパチパチ走らせ、しばらく悩む。
「こっち!」
 エレキッドは、指した。
 二股に分かれた道の中央にある、小さなマンホールのふた。
「えっ。あれ工事の設計ミスじゃないの?」
 パッチールは、マンホールのふたを見た。長いことベトベターたちが歩き回ったらしく、マンホールの周辺はベトベトしている。
「設計ミスだったら、マンホールの上からコンクリートでも注いで固めて、誰も触れないようにしてるって」
 エレキッドは、マンホールに両手をかける。持ち上げようとするが、重くて上がらない。サビついているか、ネジ留めがしっかりしているのか……。
「ここは、拙者におまかせあれ!」
 エルレイドが出る。エレキッドはマンホールから手を離して、離れる。エルレイドはマンホールの前で片膝をつき、静かに呼吸を整える。
「はっ」
 掛け声とともに、肘の刀が伸び、マンホールをスパリと二つに切った。切られた勢いで飛んだマンホールは、カラン、と音を立てて、コンクリートの床へと落ちた。
「これぞ、秘伝の抜刀術! この程度の金属などわけもない!」
 秘伝でもなんでもない、ただの「切り裂く」であったが、誰もツッコミは入れなかった。
 床に落ちたマンホールのふたをどけて、穴を覗く。はしごがついているが、どうやら人間の作ったものではないようだ。人間は金属を使って作る。だがこれは、金属の細いパイプと鎖をどうにかつなげて作った、間に合わせのはしごだ。
「何かしら、ここ」
 パッチールは、はしごの垂れ下がる穴を見つめた。ヘドロがついていないところを見ると、ベトベターたちはこの穴の存在を知らないようだ。
「きっと、都市伝説に語られる、町への入り口だぜ!」
 エレキッドは、早くもワクワクし始めたが、パッチールは先ほどと同じ事を言って水をさした。
「まだ入り口って決まったわけじゃないでしょ。誰かがいたずらで作ったとか、人間たちが設計ミスで作っちゃったイラナイ穴とか――」
「いやいや、人間たちはこのような穴を掘ることはめったにないのでござる」
 パッチールの言葉に、エルレイドは首を振った。
「仮に人間が作ったとしても、こんな間に合わせの危ないはしごなど作らぬもの。作業員の安全を考えてちゃんとしたはしごを作るのが、人間でござる。まあ、人間の子供なら、こんなはしごを作るかもしれないのでござるが……」
「それもそおねえ」
 パッチールは、その渦巻状の目をさらにぐりぐりさせた。
 穴自体をよく見ると、コンクリートがでこぼこしている。鋭い引っかき傷がところどころついているのを見ると、鋭く尖ったもので無理やり掘ったように思われる。この穴自体、人間が作ったものではない!
「降りてみようぜ!」
 エレキッドの提案。パッチールが返事をする前に、エルレイドがまず真っ先にはしごに足をかけた。
「ご両人、それでは拙者が先頭を! 下には何か危険があるかも知れぬゆえ」
「ま、オレらの体重、エルレイドより軽いってのもあるし。エルレイドの重みではしごが壊れても、オレらは無事な確立高いってことで」
「そうよねー」
「ぬ! ご、ご両人!」
「冗談だよ、冗談」
 はしごを下り始める。皆が一緒に降りているので、はしごはすぐグラグラと揺れ、ジャラジャラと音をたてた。さすがは間に合わせ。いつはしごが壊れるか分からない。鎖が錆びているのが見えるのだ。一体いつ頃作られたはしごなのだろう。
「うわっ、揺らさないでよ!」
 パッチールが、下を降りるエレキッドに言った。
「アタシ手足短いんだから、足滑らせたらアウトなのよ!」
「オレだって短いよ!」
 言い返すエレキッドがツノの間からピリピリと電気を走らせる。そして自分が金属のはしごを握り締めているのも忘れたのか、少々放電してしまった。はしご全体に電流が弱く流れ、パッチールとエルレイドの体をビビッと刺激した。体に走った痛みで、思わずはしごから手が離れる。幸い、すぐはしごをつかみなおせたものの、動揺したせいで体をゆすってしまい、はしごは先ほどよりも大きくブラブラと前後に揺れる。
「ヒャーッ、なにすんのよ!!」
 パッチールは強くはしごの鎖にしがみついた。エルレイドは、パッチールが体を揺らした拍子にはしごを勢いよく揺さぶられて、足を踏み外しそうになった。
「お、お、落ち着かれよ! パッチール殿! せ、拙者も落ちてしまう!」
 鎖はジャラジャラと揺れた後、ゆっくりと止まってくれた。
「フー、助かった」
 皆、ほっとため息をついた。
「もー!」
 パッチールは耳を動かしながら下に向かって文句を言った。
「危うく落ちるところだったじゃないの!」
「いや、ワリイワリィ」
 エレキッドは、頭をかいた。
「まさか放電しちまうなんて思わなかった」
 そのままはしごを下りていく。徐々に空気が重くなる。反対に、下水の悪臭はほとんどなくなった。あるいは、自分たちの鼻が完全に下水の臭いに慣れてしまって、気がついていないかのどちらかだ。今の彼らには下水の悪臭など、どうでも良かったが。
「……ちょっと、疲れたね」
 パッチールが言う。はしごがどこまで続いているか分からないのだから、ここで一旦降りるのをストップして少し休みたかった。
「でもよ、休もうにも、休めないだろ。はしごにつかまらないといけないから、どのみち腕が痛くなるだけさ」
 エレキッドはまたピリピリとツノの間で電気を発した。
「あとどのくらい、このはしごを下りなくちゃならないのか分からないんだぜ?」
「いや、もう、底は見えているのでござる」
 エルレイドが言った。
「あと二十段ほど降りれば、はしごは終わるのでござる。それまで、辛抱、辛抱」
 エルレイドはさっさとはしごを下り始める。エレキッドとパッチールは慌ててはしごを下りた。
 エルレイドの言うとおり、二十段ほどで、はしごは終わった。地上に降り立つと、そこはやはりコンクリート製の床。
「ふいー、疲れたあ」
 地に足が着いた安堵感。疲れが押し寄せて、エレキッドとパッチールはすぐに座り込んでしまった。エルレイドは座らず、疲れた様子は若干見せていたものの、一点をずっと見つめている。前方には闇が広がるばかり。彼らの周りには、姿を互いに確認できるだけの弱弱しいオレンジの光がある。
「あれ?」
 エレキッドはふと思った。
 このオレンジの光は、一体どこから?
 周りを見ると、彼らのいる場所を中心とした直径二メートルほどの広さの床から円状に光を放っているのがわかる。パッチールも気づいたのか、不思議そうに周りを見る。
「どうなってるの? この明かりは一体……」
「ご両人」
 エルレイドが急に口を開いた。エレキッドとパッチールは同時に、エルレイドを見た。
「この先は、都市に住むポケモンの知らぬ道でござる」
「えっ……」
「拙者はこの道を進み、今の都市にたどり着いた。そして今、拙者は里帰りしたのでござる」
 エルレイドは片腕を伸ばし、闇に触れる。すると、触れた闇はまるで水のごとくサアーと静かに引いていく。その先に、新たな道が開かれた。
「この先に、何があるの?」
 パッチールは問うた。エルレイドは振り向きもせず、石造りの道へ踏み出した。
「都市伝説で語られる、ポケモンのみが住まう町でござる」


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