第5話



 エレキッドは、石造りの道を見つめた。パッチールは口をあんぐりと開けて、耳をピンと立ててポカンとした顔をしている。
 目の前に広がる石造りの道。それは、下水道の道とは比べ物にならないほど原始的に感じられた。きちんと舗装されていない道路のようにも思えるゴツゴツした道。その道の周りには、ぼんやりとオレンジの光を放つ何かがある。こんな地下深くなのだ。ここには電気が通っているはずが無いのに。では一体何の光だろう。
「あの町で語られている、ポケモンだけが住まう町。それが、拙者の故郷でござる」
 先を歩くエルレイドは、静かに言った。
 石造りの道はやがて終わりを見せた。鉄の板を立てかけただけの簡素な門が、皆を出迎えたのだ。エルレイドは鉄の板をどかして、道を作る。道は、石造りからコンクリートに変わる。
「うわあ」
 エレキッドは、目の前を見て、思わず口をあんぐりあけた。コンクリートの道の向こうには、霧がかかっていたのだ。その薄い霧の向こうに、何かのっぽのものが見える。建物のようだ。
「何か建物があるみたいね」
 パッチールは、その渦巻状の目をぐりぐり回した。
「でも、ここは本当に地下なの? アタシたち、ずっとはしごを下りてきたわけだから、かなり地下深くにいるはずなんだけど」
「さよう」
 エルレイドは前を歩いているまま、答えた。
「この町は地下に作られたのでござる。本来、ここは一部の場所を除いて暗いのでござるが、住み着いた電気ポケモンたちが、町を照らせる程度の電力を供給してくれるために、ここは明るいのでござる。空気も、この町の東の大窓に取り付けられた換気扇をまわして、外の空気と中の空気を入れ替えているので、窒息の心配はないのでござる。換気扇は地上の都市のはずれにある廃工場につながっているので、換気扇を回す音は聞こえないはず」
 エレキッドとパッチールは顔を見合わせた。ここが都市伝説の都市だという事実を実感するのにもしばらくかかりそうだったし、エルレイドがその伝説にのみ語られる町の出身だということを飲み込むのにも時間がかかっていた。
「でもさ、いくら外に通じる出口があるからって、霧ができるなんて信じられないぜ。しかもこんなに深いなんて。一体何なんだコレ」
 エレキッドは、自分の顔を撫でる。水滴が、腕についた。
「拙者にも分からないのでござる」
 エルレイドの答えはそれだけだった。
 しばらく歩く。霧は少しずつ晴れてきて、その奥から町の姿が少しずつあらわになってきた。やがて霧が完全に晴れると、町の全貌が明らかになった。
 エレキッドとパッチールはそろってもう一度口をあんぐりあけた。
 目の前に現れた町は、昔の映画にでも出てきそうなゴールドラッシュ後の寂れた町、いわゆるゴーストタウンそのもの。建物は皆、塗料が剥げ落ち、窓はガラスのないものばかり。たまに聞こえるブウンという音は、先ほどエルレイドが言っていた換気扇の音なのだろう。街灯には電気が通っており、その街灯の明かりだけが周りを見る手段であった。
「なにこれ……寂れてるわ」
 パッチールは右耳を伏せた。
「手入れをする人間の手から離れたことと、手入れするための道具が何も無いのが一番の原因でござるな。拙者が生まれたときから、この町はこの状態だったのでござる」
 ほかのポケモンの姿が全く見えない。たぶん、立ち並ぶ家のどこかに隠れているのだろう。
「ここが拙者の育った家でござる。親はもう他界してしまったのでござるが……」
 エルレイドが立ち止まって指したのは、小ぢんまりとした建物。八百屋を作る予定だったのか、ダイコンかニンジンをかたどった看板が入り口につけられている。薄暗い内部に入ると、どこから持ってきたものやら、古びた畳が敷かれている。十年以上も取り替えていないのだろう、ところどころささくれ立っていて、ささくれを踏むとちょっと痛かった。エルレイドは二匹におんぼろの座布団をすすめた。そして、お茶と茶菓子の代わりなのか、干したモモンの実とツボツボ特製の木の実ジュースを持ってきた。モモンの実が置かれた器は古い設計図(しかも設計図が使われなかったことを示すバツ印が図面にデカデカと描かれている)、ジュースの入った器はなぜか、コンビニで売られているプラスチックのコップ。
「あいにく、これくらいしかお出しできるものが無いのでござるが、こらえてくだされ」
「いいよ、そんなに気を使わなくても」
 都会ではあまり飲めない木の実ジュースは不思議な味がした。甘いような酸っぱい様な、渋い様な苦い様な、とにかく色々な味が混ざっている。
「でさ、聞かせてほしいの」
 パッチールは耳を動かした。
「あなたと、この町について、最初っからぜーんぶ」
「承知いたした」
 エルレイドは、座布団の上に無理やり正座する。本当は、エルレイドの脚の形は正座するにはあまり向いていないのだが。
「では、この町について最初からお話しいたそう」
 エルレイドは咳払いした。
「この町は、元々人間が作った町だったのでござるが、いつの間にか人間は一人もいなくなっていたのでござる。拙者の生まれる前の出来事ゆえ、詳しい事は存じておらぬが、たぶん、よくある開発中止というやつかと。人間のいなくなった町に、拙者たちの祖父に当たる世代の者たちが住み着いて、ポケモンだけの町となったのでござる。今拙者たちが住んでいる町から流れてきたポケモンがこの町に住み着いたか、あるいは他の場所からやってきたのかは、拙者にはわからないのでござるが……。ポケモンだけが住む町というのは都市伝説ではなくて本当のこと。都市にだけ住むポケモンは誰もいままで自分の目で見た事が無いから、伝説の類としてみなしているのでござる」
 エレキッドとパッチールは顔を見合わせた。そういえば、十年以上も前に、この都市では、地下に都市を作るという計画が持ち上がっていたのだった。
「この町に入ってきた手段は、拙者たちが歩いてきた下水道と、止まっている換気扇の隙間と、小さな地下水の池。一夜の宿を求めて入ってきたかは定かではないのでござるが、食べ物と水は最初からこの町にあったので、ポケモンはこの町に住み着いたのでござる。湧き出る地下水と、おそらく人間が植えてそのままほったらかしにしたのであろうが、換気扇の大窓から差し込む光で育つモモンとナナの実が、拙者たちの食料なのでござる。家具は最初からボロボロだったけれど、雨風にさらされることも無いので、ここに住み着いても問題は無かったのでござるな」
 エルレイドは、座布団の上でムリに正座している脚をなんとか保たせようとしている。足がしびれたのだろうか。エレキッドもパッチールも、足を投げ出して座っているのだが。ムリしなくていいのに。
「実際、この地下都市の面積は広いほうではなくて、町というよりは村といったほうが正しいのでござる。建物も三十軒ほどしかないゆえ」
 そういえば、街灯に照らされた場所以外はよく見ていなかった。
「そういえば、他のポケモンたちは? 姿を見ないよ?」
 パッチールが話を振った。エルレイドはやっと、正座した脚を組み替えなおす。
「住み着いたほとんどのポケモンたちがこの町から去ったから、姿を見られないのでござる」
「どうして、いなくなっちゃったの?」
「寿命で亡くなったことと、若い世代が新しい刺激を求めて地上へ行ってしまい、そのまま戻ってこないことが原因なのでござる。拙者もその一人でござるが……」
「過疎化する田舎みたいね」
 パッチールの言葉に、エルレイドは目を閉じた。恥らうかのように。
「さよう。地上でも人間たちが都市部へ移り住むことによる田舎の過疎化が、この場所でも始まったるのでござる。残っているのは、拙者の知る限りでは、年老いた数体のポケモンのみのはず」
「どうして、出て行かないの?」
「変化を望まないのでござる。平たく申し上げるならば、この町から出たくないのでござる。愛着というものでござるな」
「へー」
 話が一旦とぎれた。
「じゃさ、次はエルレイドのこと話してよ。どうして外へ出ようと思ったの? どうしてオレの探検につきあったの?」
「あー、そのことでござるか」
「うん」
「拙者は、元々外の世界にはあまり興味を持っていなかったのでござる。しかし半年前の台風で、換気扇の隙間から飛び込んできたチラシを見て、外へ行きたくなったのでござる」
「チラシ?」
「さよう。今も大切にしているチラシなのでござる」
 どこからか取り出したそのチラシを見ると、それは歌舞伎の講演会。町の中央ホールで行われていたものらしいが、エレキッドもパッチールも全然覚えていない。
「これが拙者を外の世界に行かせたのでござる。そして、拙者は講演会を覗き見しただけでなく、地上の都市で様々なものを見聞きし、外の世界には、この町にはないものがたくさんあると知ったのでござる。他の者たちがこの町に戻らないのもうなずけるというもの」
 なるほど。外に出て歌舞伎をこっそり見て以来、観光を続けるうちにすっかり時代劇マニアにまでなってしまったというわけか。
「外の世界は、確かにすばらしかった。このままずっといたかったのでござるが、そのころ、一度帰郷しようとも考えていたのでござる。古い世代の者たちがまだ町に残っているか、それとも町が無人になってしまったか、確かめてみたかった。誰も残っていないようなら、拙者もこの町を去って二度と戻らないつもりでござった。もし誰か残っているなら、今後も時々顔を出しておこうと考えたのでござるよ」
「で、オレの思いついた暇つぶし探検につきあったのは、里帰りするために、ってこと」
「さよう。ご両人を利用してまことに申し訳ないのでござるが……」
「いや、別にいいよ」
 エレキッドは、土下座しようとするエルレイドを制するように、顔の前で手を振った。
 エルレイドは立ち上がったが、足がしびれたらしく、一度ガクリと膝を落とした。
「く……ではご両人。この町に残っているポケモンたちのもとへ参ろう。挨拶でござる」


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