第3話



 キルリアが『ダンス・コジョンド』に入会してから二週間目。毎日柔軟体操ばかりで、筋肉痛で全身が痛くて仕方のない日々が続いていた。キルリアはそれに不満をあらわにしたが、毎日やらないと意味がないのだと、コジョンドは言った。そして、
「あまり晩いと親御さんが心配なさるでしょうから、平日のレッスンは三十分にしましょう」
 キルリアは学校の帰りに直接ダンススクールへ向かっている。途中、コンビニやベーカリーでおにぎりやパンを買う。あるいは登校前におにぎりをいくつか握り、それをレッスン前にコジョンドにわたす。帰宅してからまた家を出てもいいのだが、コジョンドの言いつけにしたがって、学校の帰りに直接通うようにしたのだ。これならば、レッスンが終わってから走って帰ればそんなに暗くならないうちに家に帰りつける。
「だいぶ体が柔らかくなってきたわねー。でもまだまだね。体が柔らかくなると、もっと動きが優雅になれるわよ〜」
 キルリアは毎日柔軟体操をさせられているが、その甲斐あって、徐々に体が柔らかくなってきた。とはいえ、体を後ろに倒してのブリッジはまだできないが。
「ところで先生」
 レッスンに来たキルリアは、コンビニで買ったものが入ったビニール袋を渡しながら言った。
「先生のダンス、見たこと無いです、そう言えば」
「あらそうだったかしら?」
 弁当を受け取りながら、コジョンドは首をかしげた。
「先生って何を踊れるんですか?」
「色々できるわよ。じゃ、見せちゃおっかなー」
 茶目っ気たっぷりに言うと、小型ラジオのスイッチを入れ、音量を調節し、アンテナをあちこちに傾けて電波を捕まえた。ちょうどダンスミュージックの時間のようで、ラジオからはフラメンコが聞こえてきた。コジョンドは曲に合わせて踊り始めた。キルリアはたちまちそれに見とれた。優雅な動きがキルリアをとらえて離さない。綺麗な照明の照らす舞台もなく着飾ってもいないのに、その一挙一動に目を奪われる美しい踊り。キルリアが見ている間も曲はどんどん変わる。タンゴ、タップダンス、モダンバレエ、コサックダンス……。
 コジョンドがラジオのスイッチを切った時、キルリアはすぐには現実に戻れなかった。
「いやー、久しぶりに運動したわねー」
「す、すごいです、先生!」
 やっと現実に戻ってきたキルリアは拍手喝さい。コジョンドはフフンと自慢げに体をくねらせた。
「私、『ダンス』や『踊り』とつくものは大抵踊れるのよ〜。全部覚えるのは並大抵のことではないけどね〜」
「すごいです! でも、色々踊れるのに、どうしてこのダンススクールに生徒がいないんですか? 先生は色々な踊りを教えられるでしょ。ママが言ってたけど、ママのお友達が先生のところで学んでたけど、時代遅れなところがあるから辞めたって……」
「まあ、貴女の世代から見れば、私は時代遅れかもしれないわね」
 ズケズケ言うキルリアに気を悪くした様子も見せず、コジョンドはため息をついた。
「この町には、ほかにもダンススクールがいくつもあることは、貴女も知っているわね?」
「はい」
「学校の帰りなんかに、ダンススクールのレッスンを覗き見したことってあるかしら?」
「はい」
「じゃ、そのレッスンを覗き見した感想を聞かせて頂戴な」
「えーと……」
 キルリアは、記憶をたどる。この町一番のダンススクールである『チーム・ザ・トリオ』はどうだったろう。大きな建物とピカピカの窓。窓から覗いた時に何を見ただろうか。室内は広く、天井から綺麗な蛍光灯の光が降り注いでいた。壁の一面は全部鏡が貼られていた。ステージがあり、そこで講師が手本を見せてダンスをする。皆が、大音量のスピーカーから流れ出る曲に合わせ、講師の真似をしてダンスをする。あの派手でキラキラした最新設備が、とてもステキに見えた。踊りも軽快で、とても楽しそうだった。
『レディス・フラワーダンス』はどうだったろう。ネオンなど派手なものは一切なく、畳と木造でつくられた質素なダンススクールであった。木造の舞台の上でドレディアが優雅に舞い、畳の上で皆がそれをゆっくり真似る。一通り舞ったあとは個人レッスンだ。扇子や小枝などの小道具を持ち、ゆっくりと舞い踊るのがとても美しかった。
 ほかのダンススクールの記憶もたどる。新しい設備、広い建物、大勢の生徒……。どれもこの『ダンス・コジョンド』にはないものだ。
 キルリアが思った事をそのまま伝えると、コジョンドはうなずいた。
「でしょうねえ。ここは古くて小さいし、生徒は多くて十人が限界ですもの。それに、最新設備を置く場所もないし、新しい建物を借りるお金もないし……。あとは、私のレッスンのやり方が時代遅れなのかもしれないわねえ。まず私は体を柔らかくほぐすところから始めるの。固いままだと、下手すると関節を痛めちゃうかもしれないでしょう?」
「ハイ」
「それを半月くらいはやるの。それから本格的に基礎から教えるんだけどね、そのやり方が古臭いって言うので、皆辞めていくのよねえ。私から見れば、辞めていく皆が焦りすぎているんだけどね。ダンスを習いたい気持ちはわかるけど、初日に基礎から教えたって、きちんと踊れるようになるまでずいぶんとかかるものなのよ」
 キルリアには、柔軟体操に半月もかけねばならない理由が良く分からない。ある程度柔らかくなればそれでいいのではないだろうか。
「アラアラ!」
 コジョンドが外を見て、声をあげた。窓から、少し離れたところに立つ街灯の光がようやく差しこんできている。
「もう日が暮れちゃったわね」
「あ、そろそろ帰らないと――」
 キルリアがカバンを持ったところで、コジョンドが言った。
「もう暗いから、送ってあげるわよ」
「えっ、あ、ありがとうございます……」
 実際、外はもう日が沈んでしまい、辺りは街灯の光で照らされ始めていた。キルリアはコジョンドと一緒に帰ったが、ここではダンスでの歩き方のレッスンもさせられた。
「その足取りではうまくいかないでしょ、だからこう、もう少し足を広げて――」
「わっ! こ、これじゃ歩けないです……」
「ダンスステップを踏んでいるんだから、普通に歩けるわけがないじゃないの。ハイ、もう一度最初から! いち、に、いち、に!」
 通行人にみられる中、キルリアは下手なステップを踏みながらも何とか家までたどり着けたのだった。普通に歩いて帰ったわけではないので、家に着いたころにはいつもよりずいぶん遅くなっていた。ちょうど彼女の両親が帰宅した。
「あら、こんばんは。キルリアさんの親御さんですね?」
 コジョンドは挨拶した。キルリアの両親は家に入ろうとしていたところであったが、後から帰ってきた娘に驚いた。そして、コジョンドを見た。
「あ、こんばんは! いつも娘がお世話になっております!」
「いえいえ、こちらこそ」
 たがいに挨拶した後、キルリアの両親は、「娘がお世話になっているお礼に」と、コジョンドを夕食に招待した。コジョンドの目の色が変わったが態度に出さぬよう努めた。
「あら、どうもおかまいなく……」
 だが結局は皆一緒に夕食を取った。食後、キルリアは部屋で宿題をし、両親とコジョンドはリビングで一緒に長い事話をした。コジョンドが帰ったのは夜九時前であったが、コジョンドのステップは普通の歩き方ではなく、スキップに近いものとなっていた。
「いっぱいごちそうになったし、ご両親も優しい方だし、あの子は本当に満たされた子ね〜」
 街灯の照らす道を、コジョンドは上機嫌でダンススクールへと帰っていった。


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