第4話



 キルリアのクラスには、『レディス・フラワーダンス』に通っているクラスメイトがいる。才能のからきし無いキルリアと違い、将来はプロのダンサーや体操選手になれるともっぱらの噂だ。リズム感があり、体も柔らかく、動きも優雅。当然、受験の時期でもないのに早くもいくつかの専門学校や劇団からスカウトがかかっている。
 キルリアはそのクラスメイトがうらやましかった。自分も踊る事は好きだが、町のあちこちのダンススクールの講師やコジョンドに言われた通り、自分自身にはダンサーとしての才能などからっきし無い。だがそのクラスメイトはあふれんばかりの才能を持ち合わせている……。
 そのクラスメイト・チラーミィは、キルリアに言った。
「ねえキルリア。最近ダンススクールに入ったって本当?」
「うん」
「だから、最近筋肉痛だって言ってたわけね。どこのスクール?」
「ダンス・コジョンドってところ」
「なにそれ、聞いた事もないけど?」
「だって、すっごく無名なところだもん。おんぼろだし、設備らしい設備だってないし、生徒はあたしひとりだけだし……」
「ええっ、そんなとこに通ってんの!?」
「だって、お小遣いで行ける所、あそこしかなかったし……」
「習い事のおカネくらい、親に出してもらえばいいじゃん!」
「うちの親、お小遣いに関してはすっごい厳しいんだよねー。漫画ばっかり買うだろうからって」
 キルリアは頬を膨らませた。
「それに、いろんなダンススクールの入会試験で、前借りしたお小遣いを全部使っちゃってさ。『次のスクールのテストに落ちたら、もう小遣いの前借りはナシ』なんて言うんだよ? だから、好きなタレントのアルバムとか買うのはあきらめちゃった……。アルバム、レンタルショップで借りる方が安いって最近気が付いちゃったし」
 先日コジョンドと一緒に自宅で食事をとった翌日から、キルリアの小遣いは上がったものの、その小遣いから自分のダンススクール代を出さねばならない。レッスンのたびにコジョンドへわたしているおにぎりは、小遣い節約のために、自宅で握ってくるようになった。
「なにそれ厳しすぎ」
 チラーミィはそれから思いついた。
「ねえ、あんたの通ってるダンススクールってどんなとこなのか、見せてよ」
「別にいいよ……」
 キルリアの頭の中に一抹の不安がよぎる。
(あのおんぼろスクール、絶対笑われるなあ)
 だが、いいよと言ってしまった以上、後には引けない。放課後、キルリアはチラーミィを連れて、ダンススクールへの道を歩いて行った。商店街を通り過ぎ、住宅街を通り過ぎ、公園の傍を通り過ぎていった。
 なかなか目的の場所に到着しない。チラーミィは苛々し始めていた。一体どこにダンススクールがあるというのだろう。もうすぐ町はずれなのに。
「ねえ、まだなの?」
「もうすぐ着くよ」
 キルリアの言葉通り、『ダンス・コジョンド』が見えてきた。キルリアが週末ごとに懸命に掃除した甲斐があって、風雨にさらされどおしの汚らしかったおんぼろスクールは、若干見栄えが良くなっている。とはいえ、
「ここがスクール? ただのプレハブじゃないの?」
 チラーミィは、キルリアがこのダンススクールを初めて見たときに思った通りの言葉を、口にした。壁の汚れや窓のくもりを可能な限りみがいたとはいえ、建物自体が古いのだから、仕方がない事である。看板を磨こうにも、手が届かない高さにあるのだし、はしごを借りてくるにしてもどこで借りたらいいのかわからない。
「あんた騙されてるんじゃないの?」
「れ、れっきとしたダンススクールだもん。そりゃ、アタシもさ、初めて見た時は、そう思ったけど……でも先生は優しい人だし、いろんな踊りをおどれるんだよ」
 キルリアはそう言いながら、ドアをノックした。
「こんにちわあ」
「はーい」
 中から声が聞こえたので、キルリアはドアを開けた。
「はくしょ!」
 途端にくしゃみが出た。目の前を埃が飛んでいき、キルリアの鼻がむずがゆくなった。
「あ、ごめんなさいねー。小道具の埃をとってたんだけど、掃除に夢中で、うっかり窓を開けるのを忘れていたわあ」
 薄暗い室内の奥から聞こえる、コジョンドの明るい声。そして、暗がりから歩んできたコジョンドは、窓を開けて、腕をヒラヒラ振って埃を追いだしにかかる。
「あらこんにちは。お友達を連れてきてくれたのかしら?」
「あ、そうなんです、先生。友達のチラーミィです。はくしょっ」
 くしゃみするキルリアに紹介され、チラーミィはちょっとぎこちなく前に出てきた。
「あ、はじめまして、チラーミィです……。こんにちは」
「どうもはじめまして。私、この『ダンス・コジョンド』の講師・コジョンドです」
 チラーミィは首をかしげた。それもそのはず、名前など聞いた事のないダンス講師なのだから。このおんぼろプレハブのような小さな建物では、生徒が来るはずもない。無名であたりまえではないか。自分の通う『レディス・フラワーダンス』の方が、設備も建物も新しくて綺麗な、ずっと素晴らしいところだ。
「もしかして、うちに入会希望かしらっ?」
「違います。わたし『レディス・フラワーダンス』にかよってます!」
 嬉しそうなコジョンドの顔が一変し、がっかりした失望の顔に変わった。極めて露骨な変わり方であった。
「あ、ああ。あの大きなダンススクールのひとつよね、『レディス・フラワーダンス』って」
「はい!」
 チラーミィの顔に笑みが広がった。自分がそのスクールで講師に目をかけてもらっている事を思い出しての事であろう。キルリアは羨ましくて、ぷくっと頬を膨らませた。
「わたし将来ダンサーの振り付け師になりたいんです。だからダンススクールに入って自分でダンスを踊れるようにしてるんです」
「そうなの〜。どんなのが踊れるの?」
「舞踊です!」
「そうなの。じゃあ、踊って見せて下さる?」
 コジョンドはラジオのスイッチをひねり、アンテナを動かして電波を拾う。やがて、ラジオから舞踊の曲が聞こえてくる。
「今日は舞踊の曲の日なのよねえ。さ、どうぞ」
 チラーミィは一礼して、踊り始めた。
 キルリアはその動きをじっと見た。先日見たコジョンドの動きは、目をひきつけてやまなかった。その印象が非常に強かったせいか、友人の舞踊があまり良いものには思えなかった。動きも固いし、体の伸びが足りない。どうしても批評したくなる。確かに友人はダンスが上手だ、だがコジョンドと比べてしまうと、はるかに見劣りしてしまうのだった。
 コジョンドはラジオのつまみをひねって音量を下げた。
「うーん、なかなかステキね! 将来ダンサーとして活躍できるわよ、あなた」
「ありがとうございます」
 チラーミィは得意げに礼を言った。
「じゃあ今度は先生のを見せて下さい!」
「ええ、いいわよお」
 コジョンドはつまみをひねって音量を元に戻す。ゆっくりとした舞踊の音楽が流れ出る。コジョンドはゆっくりと体を動かし始めた。
 キルリアはまたしてもコジョンドの全ての動きに目が釘付けとなった。腕のひと振り、踏み出す脚の一歩が、全て優雅だった……キルリアはそうとしかコジョンドの舞いを言い表すことができなかった。
 コジョンドが舞いを止めてラジオのスイッチを切った時、キルリアはしばらく口をあけっぱなしにしていた。見惚れていたのだ、すっかり。
 チラーミィも、同じく。
 キルリアもチラーミィも、拍手をした。

「ね。先生ってすごいでしょ」
 ダンススクールからの帰り道、キルリアは言った。だが、チラーミィはろくに聞いていない。
「うちのスクールの先生みたいに上手……」
 分かれ道にて、キルリアはバイバイと言ったが、チラーミィの目の中に炎がきらめいているのを見た。
(何だろう、この熱意みたいなの……)
 頭のツノふたつがそれを敏感に感じ取っていたが、その熱意らしき感情が生まれ出た理由は、キルリアにはわからなかった。


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