第5話



 コジョンドが、キルリアに、ダンスのための色々な動きを仕込み始めたのは、キルリアがこのスクールに入ってから半年後の、夏休みを目前に控えたころの事である。それまではずっと柔軟体操ばかりしていたのだ。柔軟体操ばかりで、キルリアは、ちっともダンスをさせてくれない、このスクールを辞めようかと考えたこともあった。だが、ほかに彼女の入れるダンススクールはこの町にないのだし、ここで辞めてしまったら、コジョンドの食費に使ってきた大切な小遣いが無駄になってしまうではないか。そう考えて、ダンススクールを続けることにしたのだった。たとえ、コジョンドの仕込む様々な動作が、創作ダンスに必要なのかという疑問を抱いたとしても。
(結構やわらか〜くなったなあ)
 バスルームで、キルリアはブリッジをやる。最初は頭を打ってばかりだったが、今では、体を反らせるタイミングに気をつけさえすれば、すんなりときれいなブリッジができるのだった。が、ブリッジの状態から起き上がることはできないのだった。
(このまま毎日柔軟体操やってたら、チョロネコちゃんみたいに、もっともっと柔らかくなれるかな?)
 もう習慣となってしまった柔軟体操は、コジョンドがキルリアにダンスの動きを教え込み始めてからも、未だに続けているのだ。ずっと続けていけば、今までの自分に出来なかった、それこそ体操選手にしかできないような変わったポーズができてしまうかもしれない。そんな期待を胸に抱いて、キルリアは風呂に入った。
 翌日、キルリアのクラスは騒然とした。チラーミィが事故に遭ったのだ。幸い、命に別条はないが、腕を痛め、足をくじいてしまった。歩くのがやっとの状態。走ることはもちろん、ダンスなどもってのほかだ。当分、ダンスの練習は休まねばならない。
「ダンススクールのコンクールが近いのに〜!」
 失望して愚痴をこぼしシクシク泣くチラーミィ。怪我の完治には二週間はかかる。町全体のダンススクールが集結して、総合体育館を借りて開催するコンクールは一週間後。このコンクールで優秀な成績を収めれば、新しいダンサーのスカウトに来ているプロデューサーたちから声をかけてもらえるかもしれないのだ。だが、怪我をした以上、チラーミィは出場を諦めるしかないのだ。
 コジョンドのレッスンが終わって帰宅するとき、キルリアは、『レディス・フラワーダンス』のレッスンをよく覗き見しているのだが、スクールの生徒の中で、もっとも踊りが上手いのは、やはりチラーミィだった。そして、チラーミィ自身それを鼻にかけていた。それが今では、怪我をして当分踊れなくなってしまった。キルリアは、かわいそうだと同情した一方、心のどこかでは様を見ろと馬鹿にしている自分がいた。そしてそれに気がついて、自分が嫌になった。

 ツチニンやテッカニン、ヌケニンもが忙しく動きまわって夏を知らせる。夕方になってもその暑さは残っており、少し動いただけでも全身が汗だくだ。
「はい、今日はここまでね」
 コジョンドの、レッスンの終わりを告げる言葉と同時に、キルリアはふーっと息を吐き、ハンカチで汗を拭いた。拭いても拭いても、汗が流れてくる。
「あ、ありがとうございました……」
「ハイ、気をつけてね〜」
 荷物をまとめ、キルリアはダンススクールを出た。街灯の光が要らぬほどあたりは明るく、そして昼間なみに暑かった。
 公園の傍で、喉が渇いたので自動販売機でコーラを買う。冷たいコーラが、シュワシュワという音と口内へのチクチクした刺激と共に、喉を通っていく。飲みながら、何気なく、丈の低い植え込みごしに公園を見る。腹をすかせた子供たちが公園から自宅へ帰っていて、公園には人っ子ひとりいないはずだった。
 ブランコに誰か腰掛けている。
 クラスメートのチラーミィだった。
(何してるんだろ……)
 飲みほした後の缶をゴミ箱に捨てて、キルリアは公園に入った。チラーミィは気づかない。キルリアの長い影がチラーミィの視界に入って初めて、チラーミィは顔をあげた。つぶらな両目は、はれていた。周りの毛皮が濡れている、さんざん泣いていたのだろうか。
「どうしたの」
 キルリアは声をかけてみた。チラーミィはすぐには答えず、短い腕で、顔をゴシゴシこすった。泣いていたのを隠そうとしているのだろうが、あいにく、誤魔化しにはならなかった。
「ちょっと、ブランコしたかっただけ」
 半ば震えたその声も、ごまかしにはならなかった。
 突っ立っているキルリアは、声をかけてみたものの、その次に何を言うべきかと迷ってしまった。意気消沈したチラーミィを慰める言葉など見つからない……。だが何を言っても、たぶん、チラーミィの耳には届かないだろう。
「なによう」
 突っ立っているままのキルリアに、チラーミィは怒ったような声を出す。キルリアの赤いツノが、チラーミィから発せられる強い感情を感じ取った。それに気圧されそうになるが、何とか言葉を絞って出した。
「えっとね、あの……ジュース飲む? 喉、かわいてない?」
 いらない、と返答された。
「じゃあ、お菓子でも食べる? ビスケット持ってるよ?」
 いらない、と同じ返答。
「ほっといてよう」
 チラーミィの目がうるみ、大粒の涙がおちた。
 めそめそ泣き出した。
「コンクールなんて、来年もあるじゃない……」
「駄目なの、あのコンクールじゃないと、駄目……! わああん……」
 もっと激しく泣きだした。泣きやむまでずいぶんかかった。そのころには、夕日は沈み、西空に残っているオレンジの光より、周囲を照らす街灯の白い光の方が明るく感じられた。
「あのコンクール、わたしをスカウトしてほしいプロデューサーが、審査員として、見に来るの」
 しゃっくりをまだ残しながらも、チラーミィは喋り始めた。
「あのひと、振付師として有名だから、あのひとに弟子入りしたいって思って……」
 ダンスのコンクールで自分のダンスを披露して、そのプロデューサーに見てもらい、選んでもらいたかったのだ。
「だから、あのコンクール、でなくちゃ、駄目なの……!」
「で、でも、来年もそのひと審査員として来るかもしれないよ?」
「駄目なの! そのひと色々なとこから、声がかかってて、今年のコンクールが終わったらすぐ次のところへ行っちゃうの……! またこの町に戻ってくるの、いつかわかんないし……!」
「でも、いつかは、もどるんでしょ……? だ、大丈夫だよ、きっと、次に来たときに選んでもらえるよ」
「なにが大丈夫なのさ!」
 チラーミィはくってかかった。強烈な怒りの感情をツノで感じとったキルリアは頭を押さえた。
「わたしはダンスの振付師になりたくて、レッスン重ねてきたの! だから、このコンクールに出場しないと意味がないの! あんたみたいに遊びでダンス習ってるんじゃないんだから!」
「な、何よその言い方! せっかく心配してあげてるのに!」
 思わずキルリアは怒鳴った。頭のツノに感じとった怒りより、自分の発する怒りの方がずっと強かった……。
「どうせアタシはリズム音痴だもん、マトモに踊れやしないもん! でも、あんたみたいに、ダンスが上手いからってそれを周りに自慢するよりはよっぽどマシよ!」
「何ですって!?」
「いつもそうじゃん、あんたはいつだって『ダンスが上手い』って、ひけらかして、自慢しまくってた!」
「本当のこと言って何が悪いのさ!」
 怒りのあまり、チラーミィはブランコから飛び降りた、が、脚の怪我のため、よろけて尻もちをついた。「あいた」と小さな声が漏れる。
「本当の事をひけらかすから、余計に腹が立つのよ!」
 キルリアはチラーミィを心配する様子もなく、怒りにまかせて怒鳴り返していた。

 子供じみた口喧嘩の合間に、夜の帳が空を覆っていった……。


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