第6話



 キルリアとチラーミィが大喧嘩してから、一週間。互いに口をきかぬまま、今学期の終業式が終わる。同時に、生徒の待望の夏休みが訪れる。そして、とうとう、ダンスのコンクールがやってきた。このコンクールのために総合体育館は貸し切りとなった。
 学校は午前でお終い。自宅で昼食を済ませてから、キルリアはコンビニでおにぎりを買い、「ダンス・コジョンド」へ行く。
「今日はレッスンをお休みしましょ」
 コジョンドはうきうきして、キルリアに言った。窓を開けてあるとはいえ蒸し暑いダンススクールの中で汗をかいていたキルリアは、ハンカチで汗を拭きながら問う。
「どうしてですか?」
「だって今日は、コンクールの日でしょう? ダンサーたちがステージでおどるの、いい勉強になるわよ。見ていきましょうよ。知り合いに頼んで、チケットもらったから大丈夫よ」
 コジョンドの手の中で、二枚のチケットがひらひらと揺れる。知り合いがいるなら、そのひとに生活の面倒を見てもらえばいいのに。子供心に、キルリアはチケットを見つめながら、思う。
「行く?」
 キルリアは少しためらったが、行くと言った。
「そう。じゃあ、遅くなるかもしれないから、ご両親に連絡なさいな」
 父の会社には、公衆電話を使って電話をかけた。ダンスのコンクールをコジョンドと一緒に見に行くので遅くなるかもしれないと伝えた。父は快くそれを承諾し、帰りに総合体育館まで迎えに行く事を告げる。それから、キルリアはコジョンドと一緒に総合体育館へ向かった。商店街には、大勢の住人が行き来しているが、そのほとんどは総合体育館への道を歩いていく。
 総合体育館の入口へ大勢入っていく。ダンススクールの生徒と、チケットを持った見学者たちである。コジョンドとキルリアは、入り口でそれぞれのチケットを係員のヤドランに渡してから建物の中に入った。じゅうたんの敷かれた通路を歩いていく。
「あ、席に座る前に、ちょっと」
 コジョンドは、キルリアの手を引っ張る。
「トイレですか、先生」
「違うわよ。ダンスの発表までまだ十分時間があるから、知り合いの所へ行くの」
「しりあい?」
 楽屋方面へ行く。ドアには、「審査員用控室。関係者以外立ち入り禁止」と書いた札が下げてある。
「せ、先生、立ち入り禁止って」
「私は大丈夫、関係者だもの」
 キルリアが首をかしげる。コジョンドは控室のドアをノックする。
「関係者以外立ち入り禁止だよ!」
 鋭い声が室内からかえってきた。コジョンドは、涼しい顔で言った。
「あんたの関係者よ。といっても、スタジオやコンクールの関係者じゃないよ」
 すると、
「お、その声はコジョンドか!?」
 足音が聞こえ、施錠されていたドアが開かれる。そして、開かれたドアの向こうに立っているのは、マラカッチであった。
「コンクール、見に来たわよー、マラカっちゃん」
 コジョンドは楽しそうに言った。
「本番前でごめんなさいね。でも早く来すぎちゃって、コンクール開始まで少し時間があるもんだから挨拶しに来たのよ。チケットありがとうね」
「ああ、構わないよ」
 マラカッチはそれから、キルリアを見た。コジョンドはキルリアを紹介する。
「ああ、この子ね、私のダンススクールの生徒なの」
「き、キルリアです。はじめまして」
 なかば緊張し、なかば好奇心でマラカッチを見つつ挨拶するキルリア。マラカッチはその体をユサユサとリズムよく揺らしながら言った。
「やあ、はじめまして。今回のダンスコンクールの審査員を務める、マラカッチですよ」
「マラカッチはね、ダンス業界の中では一番有名な振付師なのよ」
 コジョンドが言った。
「いやいや、君だって昔はダンサーとして有名だったじゃないか。僕の振り付けを君が踊ってくれたじゃないか」
「でもそれは過去の事よ。今は落ちぶれちゃって、私の名前なんかもう忘れ去られてるわよ。開いているダンススクールだって、新しいところに生徒をどんどんとられちゃって、もうこの子しかいないんだもの。この子が来てくれなかったら、私餓死してたわ、冗談抜きで」
「とんでもない落ちぶれ方じゃないか! かつての君は一体どこへ行ったんだい……。ダンスはやめちゃったのかい?」
「そんなことないわよ。私にはもうダンスしかないのよ。でも、ダンスの学び方が変わってきてるせいで、ちっとも生徒が来ないのよ。あなたは、その逆だけど。引く手あまたの有名プロデューサーじゃないの」
 キルリアは、おとなの会話についていけない。だが会話で拾った事は、コジョンドが昔有名なダンサーだったことと、マラカッチがその業界の中では最も有名な振付師だと言う事。
(あっ)
 キルリアは思い出した。チラーミィのことを。
「あ、あのお」
 コジョンドとマラカッチがキルリアを見た。キルリアは急に注目の的になってしまい体がこわばったが、思い切って話してしまう事にした。ダンススクールのひとつに通うチラーミィのこと、チラーミィが怪我をしてコンクールに出られなくなったこと、先日、公園で喧嘩をしてしまった事。
「そ、それで、その――」
 自分のツノに、自分の恥ずかしさが感じとれる。
「チラーミィの、怪我が治ったら、チラーミィをテストしてほしいんです。あのこ、コンクールの出場をとても楽しみにしてたから――」
「ふむふむ」
 マラカッチは目を瞬きさせる。キルリアはドキドキしながら、相手の反応を待つ。断るだろうか、引き受けてくれるだろうか。
 が、マラカッチの口から出たのは、キルリアの予想しなかった質問だった。
「うーん。喧嘩してしまった君の友達が弟子入りしたいのは、僕の事なのかな? それともほかのダンスの振り付け師のことなのかな?」
「え?」
 キルリアの目が点になった。
「確かに僕はダンスの振り付け師だよ。でも、ダンスといっても様々なジャンルがあるんだ。このコンクールに呼ばれている審査員はほかにもいる。今は席を外してるけどね。彼らのダンスの分野はそれぞれ僕とは異なっているんだ。君の友達はその振付師の名前を何か言わなかったかな?」
 そういえば……。
 キルリアはトマトのように真っ赤になってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
 謝るのが精いっぱいだった。マラカッチこそがチラーミィの師事したいポケモンだと勝手に思い込んでしまい、自分勝手なことをしてしまったのだから。
「いいんだよ。それよりも、君はその友達と仲直りする方が先じゃないか? たとえ僕らがその子のダンスを評価してあげても、その子が喜ぶとは限らないよ。喧嘩している時はいろいろ気まずいものさ。そんなときに、怪我でコンクールに出場できない事を哀れまれて審査員を呼んでもらったとその子が考えたら、君に感謝するどころか、きっと怒るだろう」
「……」
「だから、まずは仲直りしなさい。ね。僕らはひっぱりだこだけど、コジョンドが何か言ったら、都合をつけて飛んでくるから」
「は、はい」
 またしてもキルリアは真っ赤になった。
 その時、館内放送が響き渡った。

『本日ご来場の皆様、誠にありがとうございます。十分後に、ダンスコンクールを開始いたしますので、お座席に座ってお待ちくださいますよう、お願い申しあげます。繰り返します――』

「あらら、もう行った方がよさそうね」
 コジョンドは肩越しに後ろの時計を見た。コンクール開始まで、あと十分たらずだ。
「じゃあ、席についてるわ。おしゃべりに付き合ってくれて、ありがとね」
 マラカッチに別れを告げ、キルリアとコジョンドはホールへ向かう。途中で用を足し、席のほとんどが埋まったホールへ飛び込んだ。チケットには、座席番号も書かれており、それに従って座る。座ったのは、ホールの中央席。
「ここならちょうど見やすい位置だわね」
 連番なので、コジョンドとキルリアは離れずに済んだ。席に着くと同時に、客席側の照明が落とされ、暗くなる。ホールの話声が静かになる。キルリアはドキドキしながら、舞台の幕があがっていくのを、じっと見つめていた。
(どんなだろう。コンクールって)
 司会者のバシャーモが舞台の端に出現し、審査員の紹介を行う。キルリアは、マラカッチのほかに、三名の審査員がいることを知った。
「それでは、第三十七回、ダンスコンクールを開始します」
 バシャーモが舞台から退く。ホールに拍手が響く。舞台の幕が上がる。キルリアは、身を乗り出すようにして、舞台を見つめた。


第5話へもどる第7話へ行く書斎へもどる