第7話



 ホール全体の照明は落とされたが、舞台にはスポットライトだけが点いており、ステージに視線を集中できるようにしてある。小道具もなにも設置されていない。クラシック音楽がホールに流れる。キルリアが舞台をじっと見ていると、舞台の上手から、踊り手たちがゆっくりと姿を現した。普通に歩いてではなく、ダンスステップで、軽やかに跳びながら。
「こないだ教えたでしょ、あれはバレエステップの応用よ」
 コジョンドがそっとささやいた。
 ダンサーたちはまず等間隔で並ぶ。四人。客席に一礼する。そして、音楽が変わる。クラシックが止まって、今度は全く別の音楽が鳴り響く。軽やかなダンスの曲だ。キルリアも聞いた事がある。コジョンドのレッスンでいつもラジオから流れている曲だ。もっとも、それは柔軟体操のときにも流れていたので、あまりいい思い出はない曲である。
 ダンサーたちは踊り始めた。キルリアは目を皿のようにして一挙一動を見逃すまいとする。曲に合わせて、舞台の上で舞い踊るダンサーたち。激しいテンポの時はより激しく、スローなテンポの時はよりスローに。一糸乱れぬ動きとはこのことだろう。が、それだからこそ、誰か一人がミスをすればそれが目立ってしまうわけで……。
(あ)
 下手で踊っていた一人が足を少し滑らせたのを、キルリアは見た。その踊り手はすぐ体勢を立て直したものの、動きは先ほどと比べてややぎこちなくなってしまっている。失敗して焦ってしまったのであろう。
(皆同じ動きしてるだけに、誰かが失敗しちゃうとすごく目立つんだなー。皆それぞれバラバラのテーマで踊って、点数を競うんだと思ってたけど、違うんだ)
 ダンスは終わり、観客席から拍手。ダンサーたちは一礼して、退場した。
 いったん音楽が止まる。しばしの沈黙ののち、再びあのクラシックの出だしだけがホールに響く。次のダンサーたちが舞台に姿を現し、同じ曲で、同じダンスを披露する。それが後五回続いたところで、キルリアの目がダンサーたちの動きに慣れてきた。さすがに、動きの微妙な遅れやリズムの間違いに気づく所まではいかないけれど、ぱっと見ただけでダンサーたちの動きをおおよそ把握できるようになったのだ。最初は、皆、一糸乱れぬ動きをしているように見えていたのに、よく見ると、微妙に違いがある。プロのダンサーは、自分では見分けのつかないような細かな所もしっかりと観察して評価しているのだろうと、キルリアは思った。
 ちらりとコジョンドを見る。ダンスの講師は、リラックスしてダンサーたちを見ている。キルリアのように皿の如く目を見開く必要はないのであろう。
(目が肥えてるんだろうなあ、先生って)
 マラカッチとの会話でも、コジョンドが昔有名なダンサーだったらしいことを思い出す。有名なダンサーならば、踊りに対して目が利いても特に不思議なことはないだろう。
 ダンスはまだまだ続く。同じような動きばかりを見つめてきて、それに飽きてきたキルリアがだんだん退屈になってきたころ、最後のダンサーたちが、バレエのステップで舞台に登場した。あくびを噛み殺しながら、早くコンクールが終わらないものだろうかと、ステージを見る。

 あっ。

 かろうじて、キルリアはその言葉を喉の奥で抑えた。だが、驚きのあまり、彼女は座席から腰を浮かしてしまった。彼女の周囲の観客が、思わず彼女を見る。
「ちょっと、座ってなさい」
 コジョンドに手を引っ張られ、キルリアは口を半開きにしたまま、大人しく座る。
 キルリアが仰天したのも当然。
 ダンサーたちの中に、チラーミィがいたのだ。
 足の包帯は、外している。このダンスコンクールのために、足が治ったように見せるためであろうか。音楽に合わせ、チラーミィは踊る。顔は笑っているのだが、動きはやや固く、キルリアはチラーミィが痛みをこらえているのだとすぐわかった。いや、観客の誰もがキルリアと同じ事に気がついただろう、チラーミィが足にけがをしたまま踊っているのだと。
 治りきっていない足の怪我。その状態で、足に負担のかかる踊りを披露しているのだ。
 キルリアは、チラーミィがプロデューサーにスカウトしてもらいたくて、足の痛みをこらえて必死で踊っているのだと、改めてその思いの強さを噛みしめる。だが、この固い動きでは、とても評価はしてもらえないだろう……。
 発表が終わり、ダンサーたちは退場した。

 コンクールは終わった。
 司会者バシャーモは、これから審査員たちが話しあいをするので、しばらく休憩時間にすることを告げた。ホールの照明が再び灯り、辺りはオレンジの優しい光で照らされた。観客たちは狭い座席から立ち上がって背伸びし、手足を伸ばして、体をほぐす。キルリアはそれにつられるように立ちあがった。
「お疲れ様。審査員発表まで時間あるから、ジュースでも飲まない?」
 数分後、コジョンドとキルリアは、無料販売の自販機からジュースを買い、飲んだ。大勢の観客が通路の端で煙草をすったり、無料販売の自販機からジュースを買っていく。
 キルリアは、オレンジジュースが紙コップの半分ほどになったとき、ぼんやりとジュースを見つめた。わずかに波打つジュースの中に映る自分の顔と、チラーミィの踊る姿。
「気にしてるの?」  コジョンドが自分の紙コップをゴミ箱へ放り込んでから、キルリアに問うた。
「はい……」
 キルリアはジュースを見つめたまま、ほとんど上の空で回答していた。
「足の怪我を抱えたままで、無理に踊っていたわね」
「はい……」
「足にだいぶ負担のかかるステップだったわね。足首の怪我は悪化するでしょうけれど、でも最後まで踊り切ったのは、すごかったわ」
 誉めているのかどうか、よくわからない。しばらく、周りの喧騒が続く。
 館内放送が、休憩終了十分前を告げたので、キルリアはジュースを飲みほして、コップをゴミ箱へと捨てた。ちょうど人気が少なくなっていたトイレで用をたした後、
(入賞は出来ないかもしれないけど……)
 結果だけは、聞いておいた方がいいかもしれない。なぜかそう思いながら、彼女はホールに入って席に着いた。
 休憩が終了し、観客が各々の席に着く。
「えー、ただいまより、審査員の皆様がたによる、第三十七回コンクールの入賞者発表が行われます!」
 司会者バシャーモの声。キルリアは、身を固くした。
「それでは、審査員の皆様がた、どうぞステージへおあがりください」
 ステージの上に、審査員が立つ。マラカッチ、エネコロロ、ミミロップ。男性審査員はマラカッチだけだ。
 マラカッチは紙を持っている。きっとあれに、ダンサーへの審査員の評価か何かが書いてあるのだと、キルリアは思う。思わず席から身を乗り出しかけるが、コジョンドに手を引っ張られて、慌てて座りなおした。
 マラカッチは、渡されたマイクに「えー、おほん」と軽めの咳払いをして、話しを始める。
「ええ、それでは、第三十七回コンクールの、入賞者の発表を開始いたします――」


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