第8話



 総合体育館の外へ、ダンスコンクールの観客達がワッと吐き出された。太陽は西の空へ傾き、空をオレンジに染め上げていた。帰宅ラッシュの時間帯が近い事もあって、道には大勢の通行者があふれかえる。
「残念だったね」
 コジョンドは言った。キルリアは力なくうなずいた。
 チラーミィは、入賞出来なかった。
(あんなに一生懸命、怪我を我慢して踊ってたのに)
 だからこそ、チラーミィの動きは、ほかのダンサーと比べて、固すぎ、ぎこちなさすぎた。
 総合体育館の前に車が止まり、窓があいてキルリアを呼ぶ声がした。
「あっ、お父さん!」
 キルリアは車に駆け寄った。コジョンドは後から小走りに寄る。エルレイドは、キルリアに言った。
「迎えに来たよ、乗りなさい。こんにちは、先生。いつも娘がお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ。――じゃ、レッスンは明日のお昼からね。午前中はちゃんと夏休みの宿題をなさいな。それじゃあ、さようなら。気をつけて」
「はい、先生。今日はありがとうございました。さようなら」
 帰宅後、夕飯をすませて風呂に入ったキルリアは、すっかり習慣となってしまった柔軟体操をやりながら、昼間のコンクールを思い出す。
(全然だめだったなあ、チラーミィ)
 ほかのダンサーの動きに目が慣れていたキルリアは、チラーミィの動きの悪さにすぐ気付いた。たぶん他の観客もそれに気づいたろう。審査員は言うまでもなく……。
(電話でもかけて――)
 慰めの言葉でもと思ったが、結局やめにした。キルリアとしては慰めたい一心でやったことが、結局は余計に相手を傷つけてしまう事になりかねないから。仲直りをしていない状態で、しかもチラーミィはダンスのコンクールに入賞出来ずにしょげているはずなのだ、電話をかけた所で彼女がキルリアの言葉を聞いてくれるとは思えない。
「どうしたらいいかなあ」
 何も解決策を見いだせぬまま、キルリアはベッドに寝転がった。

 翌日、キルリアは昼食を済ませてから家を出た。
「お中元がいっぱい届くから、最近そうめんや冷麦ばっかりだなあ。たまには先生にもおすそわけしよう」
 というわけで、キルリアは大荷物だ。大きな保冷用のカバンには、そうめんのつゆを入れた大きな水筒と、冷やしたそうめんをたっぷりと入れた大皿、割り箸、麦茶を入れた水筒がはいっている。汗だくになりながら重い荷物を運び、キルリアはスクールへとたどり着いた。
「こんにちわああ」
 数分後、コジョンドは、冷たいそうめんを嬉しそうにすすっていた。基本の食事がコンビニやベーカリーの食品なので、そうめんを食べられるのは嬉しいに違いない。母にたくさん茹でてもらったのに、コジョンドはそれをあっというまに食べつくしてしまった。
「いやあ、ありがとうねえ! やっぱり夏はそうめんや冷麦が一番だわ。冷やし中華は好きじゃないけど」
「はあ」
 キルリアは呆れかえりながらも、食器類を保冷カバンにしまい込んだ。
「先生は、マラカッチさんとごはん食べに行ったりとかしないんですか?」
「そりゃあたまには食べに行きたいけど、向こうは多忙の身だからね、なかなか都合つけてもらえないのよ。毎日飛び回ってコンクールの審査員やったり、スクールの臨時講師を務めているから」
 コジョンドは小さなハンカチで口元を優雅に拭いた。
「さて、おなかも膨れた事だし、レッスンを始めましょう!」
 熱中症にならないように、何度も休憩をはさんでのレッスン。まずはいつものメニュー、ダンスステップや手足の曲げ伸ばしのチェックだ。それらを一通り行ってから、コジョンドはキルリアに創作ダンスのテーマを出した。
「テーマは、木の一生」
 キルリアはじっくり時間をかけて考え、スケッチブックに大まかな動きをざかざか描いた、どんぐりからの発芽に始まり、成長、倒木にいたるまでの過程を。それをコジョンドに見せた後は、実演。
「やっぱりあなたこっちの才能があるわねえ」
 演技が終わった後、コジョンドは素直にほめてくれた。
 水筒の麦茶が空になるころ、レッスンは終わった。
 大きな袋をさげて、オレンジ色に変わり始めた空の下、キルリアは歩いていく。ハンカチで何度も汗をぬぐっているが、それも無駄な事。汗は絶え間なく流れてくる。ハンカチはとっくに湿ってしまっていたが、けなげに汗を吸い取ってくれる。
 公園の傍を通りかかる。子供たちがまだ遊んでいるのが見えた。公園の大時計は五時半を過ぎているが、まだ誰も帰ろうとはしない。ご飯の時間なんだから、そろそろ帰った方がいいのに。キルリアはそう思いながら、自動販売機にお金を入れて、りんごジュースを買った。水筒は空っぽだったから。傍のベンチに腰掛けてジュースを飲む間に、子供たちは「腹減ったなー」と言いながら、公園から出て大通りへと駆けだした。コンビニで菓子を買うか、家まで直行するかのどちらかだろう。飲み終わった後の空っぽの缶を捨てたキルリアは何気なく、公園に目をやった。
「あっ」
 滑り台のてっぺんに、チラーミィが腰掛けていた。怪我をした足首に包帯を巻いているが、終業式の時には、包帯など巻いていなかったはずだ。昨日のコンクールで怪我を悪化させてしまったのであろう。
 キルリアはしばし迷った。喧嘩したままのチラーミィ。行って、仲直りをすべきか。いや、仲直りするといってもどうすればいいのだろう。何を話せばいいだろう。そうしてキルリアが立ちつくしていると、チラーミィは滑り台を滑り降り、キルリアの立っている公園の出口とは反対側の出口へ、足を引きずりながらも向かう。やはり足の怪我は悪化している。終業式の時には、ほぼ普通に歩けるようになっていたはずなのに(それでも多少は引きずっていたが)。
 チラーミィが公園から去った後、キルリアは、何か白っぽいものが公園の砂場に落ちているのに気がついた。子供たちが遊具を忘れていったのだろうかと思い、砂場まで行ってみる。
「遊び道具じゃないや、これは――」
 半分に破られた紙。ところどころが不自然にしわしわになっている。キルリアは好奇心に突き動かされるまま、捨てられた紙をそれぞれつなぎ合わせて読んでみた。チラーミィに宛てた、有名なダンス専門学校への入学願書。学校側から送られたもので、まだ何も書かれてはいない。
(これを破ったのかなあ)
 しばらくキルリアは願書を見つめた。届けに行こうか否か。
 やがてキルリアは公園を出る。だがそちらは、自宅への道ではなかった。数分後、彼女はチラーミィの自宅のインターホンをおしていた。ピンポーンとありきたりな音がして、しばらく経つと、ドアが開く。出てきたのは、母親のチラチーノだ。
「あらキルリアちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「何か御用かしら?」
「あの、これ。さっき公園で拾ったんです」
 キルリアは、半分に破られた願書を見せる。チラチーノはそれを受け取り、目を丸くした。
「んま、あのスクールの願書じゃないの! これが到着するのを楽しみにしていたのに、やぶっちゃうなんて! コンクールで入賞出来なかったショックが大きすぎたのね……」
「あの、落ち込んでるんですか?」
「ええ、相当ね。昨夜はずっと泣いてたわ」
 しばしの沈黙。
「あの、あがっても、いいですか?」
「えっ」
「あ、あのですね――」
 キルリアは赤くなった。
「ち、チラーミィちゃんに――あっ、でも、もうご飯前だし、やっぱり明日に――」
 言いかけて訂正する。それでも、チラチーノは彼女が何を言いたいか悟ったようだ。
「ううん、いいのよ。ぜひあがってもらって。めそめそする娘に喝を入れてやって頂戴な。親御さんには私から電話して遅くなるってお伝えするから!」
 そうして、無理やりキルリアを家に上げてしまった!
「あ、あのおばさん……」
「いいのよ、キルリアちゃん。ささ、娘にガツンと言ってやってちょうだい。私たちが何を言っても、あの子は聞こうとしないのだもの。クラスメイトの貴女なら、耳を貸すかもしれないわ」
 キルリアとチラーミィが喧嘩中であることを、チラチーノは知らないようだった。台所からは、料理のいいにおいがしてきた。とにかくチラチーノは何が何でもチラーミィを失望のどん底から引きずり出すつもりでいるらしく、キルリアを連れて廊下を歩いた。そして、ドアをノックする。
「なによう」
 ドアの向こうから、元気のない声が聞こえてきた。
「チラーミィ! お友達よ!」
「お友達?」
「開けるわよ、入ってもらいなさい」
 チラチーノはドアを開け、キルリアを押し込んで、バタンと閉めた。
「じゃ、後でジュース持ってくるからね〜」
「あっ」
 キルリアはドアを振りかえったが、もうチラチーノの足音は去った後だった。キルリアは、また回れ右して、部屋の中に目を向ける。
 ティッシュペーパーがやまほど散らかった部屋の真ん中に、チラーミィが座っていた……。


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