最終話



 それから一年経った。
『ダンス・コジョンド』の生徒はあいかわらずキルリアだけであった。たまに近所の子供が好奇心をあらわにして、スクールを覗く事があったが、「おんぼろ」「ショボすぎ」「きたない」「つまんなそう」の言葉だけを感想として残し、さっさと去っていくばかり。
(先生はいいひとなんだけど、まあこんなプレハブスクールじゃあ仕方ないよね。最新の機器がそろっているところに、みんな行くもんね)
 キルリアは相変わらず、創作ダンスにはげんでいる。最近は受験という名前の障壁が立ちはだかっており、これに立ち向かわねばならないのだが、そのストレス解消として、創作ダンスはいいはけ口となっている。コジョンドは最近、ちょくちょくマラカッチと連絡を取り合っており(連絡に使うテレホンカードはキルリアがプレゼントした)、ついに、近く籍を入れるとのこと。キルリアは素直にそれを祝福した。むしろ何故それをしなかったのだろう。結婚式を開くのにお金がないからだろうかと、考えたのだが、さすがに口にはしない。
「でも先生が結婚したら、このスクールはどうするんですか? 辞めちゃうんですか?」
「辞めないわよ。あなたという生徒さんがいるんだもの。それより、今日のレッスン始めましょう」
 そうして日々は過ぎていき、夏が訪れた。
 ダンスのコンクールが近づいてきたある日、キルリアは思い切ってコジョンドに聞いてみた。
「先生、去年も行ったあのダンスコンクール、今年も行きたいんです」
 クラスメイトのチラーミィがダンススクールの願書を提出してから1年。彼女の進路は既に決まっているので、受験はしない。今年は、入学前の、最後のコンクールなのだ。例のスクールの願書の件以来、友達づきあいはストップしていたといってもいい状態(チラーミィがキルリアを避けているようであったが)であったが、チラーミィはその後も変わらずスクール通いを続けている。去年は足をくじいた状態だったので入賞出来なかったが、今年はいいダンスを披露してくれるかもと、キルリアは半ば期待しているのだ。
 コジョンドは快く承知した。もちろん、すでにコンクールのチケットはマラカッチから送ってもらったのだとか……。
「じゃあ、ご両親に、コンクールの予定の事はちゃんと御話ししておきなさいな。遅くなると、心配なさるから」
「はーい」

 ダンスのコンクール当日。
 終業式が終わり、楽しい夏休みが始まる。学校から学童が大勢飛び出していく。
 キルリアは、チラーミィがスキップしながら校門を抜けていくのを見送った。それから彼女は帰宅してそうめんの昼食をとり、『ダンス・コジョンド』へと向かった。
「こんにちは、先生」
「ハイ、こんにちは。ご両親には、おそくなるってお伝えしたかしら?」
「はい。御父さんが迎えに来てくれるって」
「それはよかった。じゃあ行きましょうか」
 キルリアとコジョンドは、ダンスのコンクール会場である総合体育館へと出かけた。去年と同じく大勢のチケット所持者が体育館へ入っていく。到着した時間が遅かったので、ふたりはチケットを見せて総合体育館へ入り、すぐに咳に座った。マラカッチのいる審査員控室を訪ねる余裕はなかった。
 やがて照明が落とされて、去年と同じ司会のバシャーモが、スポットライトを浴びながら登場しつつ、コンクール開始を告げる。キルリアはゴクリと生唾をのんで、チラーミィの登場を待った。ダンスの曲が流れ、発表者たちが何組もステージに登場し、踊っては、舞台から去る。その繰り返しで、キルリアが発表者の動きに目が慣れてきて、舞台への集中力が切れてきたころ、ようやっと最後の発表者となった。五名の発表者がステージに登場してスポットライトをあびた時、キルリアは思わず「あっ」と小さく声をあげていた。
 ステージの真ん中に、チラーミィが立っていた。
 去年は足の怪我をかばいながらのダンスだったが、今年は違った。ベストコンディションの状態で、チラーミィは踊った。
 ……。
 全ての発表者がステージから退場した後、審査員による話しあいが行われるので、しばらく休憩となった。キルリアとコジョンドは、席から立って、廊下の無料自動販売機からジュースを買い、飲んだ。喫煙コーナーから煙草の煙の臭いがわずかに流れてくる。
「動きは固いけど、上手く踊れていたと思うわ」
 コジョンドは空の紙コップをゴミ箱へ捨てた。キルリアは小さくうなずいて、飲みほしたばかりの、オレンジジュースの紙コップの底を見つめた。確かにチラーミィは上手く踊った。
「はい」
「じゃ、後は審査員の発表を待つだけよ。さあ、席に戻りましょう。もうじき発表よ」
 用を足してから席に戻ると、ちょうど休憩時間は終了した。司会のバシャーモが姿を現して、これから審査員による入賞者の発表を行う事を告げた。
 審査員代表は去年と同じマラカッチ。マイクを握ってからエヘンと空咳をし、手にしたメモを見ながら入賞者の発表を行った。キルリアは半ば身を乗り出すようにして、淡々と名前を読み上げるマラカッチの声を聞く。名前が呼ばれるたび、拍手が起こる。名前を呼ばれた発表者は下手から姿を現し、賞状や小さなトロフィーを受け取る。
「えー、そして、優勝者は――チラーミィさんです!」
 会場から今まで以上に大きな拍手が沸き起こる。舞台の下手から、チラーミィが出てきて、マラカッチの手から大きなトロフィーを受け取った。そのまなじりに大きな涙を浮かべている。
「えー、それでは、優勝者のチラーミィさんから……ひとことお願いします」
 マイクを司会から渡されたチラーミィはハンカチでまなじりを少しぬぐった。それから、小さく咳払いした。まず、コンクールで優勝できたことへの嬉しさと、周りの皆が支えてくれたからこそ得られたのだと述べる。それから、
「ええと、去年もコンクールに出たけど、全然だめでした。でも、堕ち込んでた時、友達がわざわざ家に来てくれて励ましてくれました。あの時わたしは自分の事で泣いてばっかりで、その友達を邪険に扱ってました。だけどその友達のおかげで、わたしはダンスを辞めずに来る事が出来ました! 本当にありがとう! それから、友達の通ってるダンススクールの先生もありがとう!」
 途中から泣きながら喋ったのでとりとめのない言葉になったが、席に座っているキルリアにはどうでもよかった。大粒の涙をこぼしながらしゃべるチラーミィにつられて、マスコットの刺しゅう入りハンカチに顔をうずめていた。
「あらあら、何かしたかしらん」
 コジョンドはその隣で小さくつぶやきながらも優雅に微笑んでいた。
 ……。

 それから半年以上経過した。チラーミィとの友達づきあいはなかった。キルリアは受験を終え、志望校に合格した。両親からも祝いの言葉をもらい、合格祝いにとレストランで食事を取った。
 穏やかな日々は過ぎ、卒業式の前日のこと、
「あっ、そうだ。スクールの工事って終わったのかな」
 漫画を読んでいたキルリアはベッドの上に跳ね起きて、家を飛び出した。
『ダンス・コジョンド』の改装工事が始まったのは去年の秋。「しばらくレッスンは御休みねえ。でも、三月になったら工事は終わるから」とコジョンドに言われていた。
 コンクールの後、マラカッチとコジョンドは正式に結婚した。だがコジョンドは変わらずスクールを続けていくと言う。結婚の記念にスクールを新しくするのでレッスンはしばらくできなくなるが、ちょうど受験のシーズンなので、キルリアは問題にしなかった。
 手土産が何もないので近くのケーキ店で小さなショートケーキを買った後、キルリアはスクールへ歩いた。
「うわあ」
 スクールを見て、まずその一言が口から飛び出す。『ダンス・コジョンド』の看板を変わらず掲げていたが、おんぼろプレハブが生まれ変わっていた。相変わらず小ぢんまりした建物だが、壁は真っ白に塗られ、扉も窓も新品で枠も綺麗に塗り分けられている。あのおんぼろスクールがここまで綺麗に生まれ変われるとは。道行く通行人たちも、元・おんぼろプレハブだった『ダンス・コジョンド』を目を丸くして見ている。
 とりあえずキルリアはドアをノックし、ドアを開けた。そしてまた驚きの声をあげた。それもそのはず。室内には、小型だが最新の機材が置かれ、天井からは明るい円形の蛍光灯から光が降り注ぎ、壁には大きな鏡がつけられている。
「ああら、いらっしゃあい」
 ダンス用の小道具が入ったおんぼろの箱を持ったまま、奥からコジョンドが現れた。キルリアは挨拶をし、手土産のケーキを渡す。コジョンドは嬉しそうに礼を言ってケーキの箱を受け取った。
「スクール、すっごくキレイです、先生」
「夫のマラカッチが費用を出してくれたのよ。もちろんちゃんと返すけどね。さー、レッスンを始めましょうね!」
 新しくなったスクールで張り切るコジョンド。そして始めようとすると、ドアのノック音。コジョンドがいそいそとドアを開けると、キルリアは声をあげた。なんと、そこにいたのは、クラスメイトたちではないか!
「み、みんなどうしたの?!」
「どうしたのって、ダンス習いにきたの」
 驚くキルリアに、十人ほどのクラスメイトたちは言った。チラーミィに教えてもらったのだと。「やり方は古臭いが踊りの上手い先生がいるスクール」として、『レディス・フラワーズ』でも『チーム・ザ・トリオ』でもないこの『ダンス・コジョンド』を推薦したのだ。
「新装開店だけど、会費だって安そうだし」
「それはひどいんじゃない?」
「あらあらいいじゃないの」
 コジョンドは嬉しそうだ。
「確かに私のやり方は古臭いかもねえ。まず徹底的に柔軟体操から始めるんだもの。それがいやだから大抵のひとは辞めちゃうんだけどね。でも体は柔らかくなるし、いい運動になるしね」
 それでもキルリアのクラスメイトたちはこのスクールへ加入した。ほかのスクールの会費がそこそこ高いのと、ダンスの上手いチラーミィが教えてくれたから、という理由で。それでも会員が増える事はコジョンドにとっては嬉しい事であった。
「さあ、レッスンを始めましょう! まずは柔軟体操からよ」
 コジョンドの調子のよさにあきれたキルリアだったが、コジョンドが笑顔ならそれでいいだろう。
(まあいっか。これからもここでダンスを続けよう――踊るの大好きだし)



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ご愛読ありがとうございました!
今回はポケモンが人間と同じ生活をしているという設定での御話。
リズムオンチな女の子が貧乏ダンススクールに入る御話。
登場するのが人型のポケモンだから、体を動かす描写がイメージしやすかったです。
とはいえ一度に色々詰め過ぎたので話のまとまりが……。
至らぬ点多々ありますが、楽しんでいただけたならば幸いです。
ありがとうございました。
連載期間:2012年1月〜2013年4月

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