第2話



 西の地平線に沈みつつあるオレンジ色の太陽が渓谷を照らす頃、虹色の卵はオレンジ一色に染まった。草やわらをかぶせられた卵は、ライチュウの目の前で明るいオレンジの光を放ち続けた。
 空腹のライチュウは、木の実を採りにいくために洞から出た。自分が目を離した隙に誰かが卵を持ち去ったり、割って卵焼きにしやしないかと半ばひやひやしていたので、木の実を一つ採るごとに、卵を置いてある木の方を振り返っていた。
 結局、木の実はいつもの半分しか採れなかった。
 ライチュウは自分の住まいではなく、卵のある洞の中で木の実を食べながら、じっと卵を見つめた。太陽はもう沈み、今は月の光だけが辺りを明るく照らす。虹色の卵は、月の光を反射して、優しい白の光を放った。その光につられてか、渓谷のポケモンたちが入れ替わり立ち代わり洞を訪れ、卵の放つ光に見入っていた。皆口々に、「きれいだ」と言っていた。
 やがて、月は雲に隠れた。光は星だけとなり、卵はその弱い光を浴びて、うっすらと白く光る。ライチュウは卵にわらと草を被せなおし、卵の周囲を草で敷き詰めた。光る卵は綺麗でいつまでも見つめていたいのだが、そろそろ眠くなってきたのだ。
「おやすみ〜」
 卵の側で、ライチュウは横になった。そして体を暖かな草の上に横たえるや否や、ライチュウは眠りについた。

 ポケモン渓谷のポケモンたちが眠りについて間もなく。
 空を覆い隠したあつい雲の隙間から、一筋の光が漏れた。その光は渓谷を包むほど広範囲を照らしていたが、あっというまに細くなり、糸の様な細さにまで変わった。
 糸のごとく細い光は渓谷をあちこち照らした。まるで何かを探しているかのように。
 光は、突然停止した。そして、その停止した場所にとどまり、その場所を照らす。
 不思議な卵の入れてある、大きな木の洞の入り口。
 光は、洞の入り口を照らすだけではない。洞の、内部までも照らした。わらと草に包まれた不思議な卵は、その光を浴びて、昼間のように、七色に輝いた。だがその輝きの美しさは昼間の比ではない。七色に光るその卵は、この世界に存在するいかなる宝石にも負けないほど、いや、宝石とは比べ物にならないほど美しい光を洞の中で放っている。
 卵のすぐ側で眠っているライチュウは、卵が光り輝いたのにも気づかず、眠っている。夢の中で、昼間の夢で食べ損ねたリンゴをもりもり食べているところなのだ。
 空から差し込んでくる謎の光の中に、何かのシルエットが現れる。そのシルエットは、光の中をゆっくりと降りてきて、洞の中に入ってくる。光は卵を照らすだけでなく、そのシルエットも照らしている。シルエットは腕らしきものを伸ばし、卵にそっと触れた。

 ダイジョウブ、ダネ。

 かぼそいが、芯のしっかりした声が、洞の中に響いた。そして、シルエットは光と共に、ゆっくりとフェードアウトしていった。

 ポッポたちが空を飛び、朝を告げる鳴き声をあげると、渓谷のポケモンたちはそれぞれ起きだした。中にはまだ眠っている者もいるが、そのうち起きる。
 不思議な卵を入れてある木の洞の中で、ライチュウはまだぐっすりと眠っていた。時たま長い尾で洞の中の枯れ草や卵までもをパタパタと叩き、寝言を言う。
「うーん、あと一口、あと一口……」
 手の中に握りしめた最後のリンゴを食べようと大きく口を開けた途端、どこからか押し寄せてきた洪水の中に呑み込まれた。
「うわーっ、おぼれるう!」
 がばっと体を起こした。
「夢?」
 だが、その体はびしょぬれである。洞の入り口を見ると、人懐っこそうな顔のウパーが尾を振りながらライチュウを見ていた。どうやら水鉄砲をかけられたらしい。
「あ、起きた〜?」
 間延びした声。ライチュウはむすっとした顔で、体を震わせ、水をはじいた。
「起きたよ。水かけられたんだもん」
 濡れた草やわらを取り替えるために、卵を覆うそれらを取り除いていく。半分ほど作業が進んだところで、ライチュウは、卵が、少しだけ動いたように見えた。
「気のせい、だよね?」
 念入りに卵を調べたが、卵はピクリとも動かなかった。入り口から差し込む朝日の光を浴びて、うっすらと乳白色の光を放っているだけである。気のせいだと、ライチュウは片付けた。
 ウパーに誘われ、川へ顔を洗いに行った。水ポケモンたちが川の中で泳いでおり、他のポケモンたちと戯れている。
「おはよー」
 ライチュウが来たのに気づき、川べりのポケモンたちは一斉に挨拶する。ライチュウも挨拶を返し、川の水でバシャバシャと顔を洗った。
「ねえねえ」
 水の中から出てきたタッツーが聞いた。
「昨日の卵、どうなったの? われちゃった?」
「割れてないよ」
 ライチュウは体をぶるっと震わせ、水気を払う。
「あの卵、ただの卵じゃないと思うよ。光るんだもの」
「光る卵なんて、聞いたことないしね」
 賛同するように、川から上がってきたニョロトノがケロケロ言った。くりくりした丸い目を動かし、ライチュウを見る。
「あれって、本当に卵なのかな。ひょっとしたら卵の形した石ってこともあるよ」
「そ〜かな〜」
 水に飛び込み、ウパーは水を派手に跳ね上げた。
「だって〜、しっぽでたたいたら〜、コンコンって音したよ〜。たまごの音だよ〜」
「ボクも卵だと思うよ。でも、卵なんだけどただの卵じゃないよ」
 その時、いたずら好きのワニノコが川の水を勢いよく跳ね上げたので、川辺のポケモンの大半が水をかぶった。
「やったな〜っ」
 他のポケモンたちも水を跳ね上げ、ワニノコに仕返しする。だがワニノコはそれよりももっと派手に水を跳ね上げた。ライチュウもこれに加わり、しばらく水遊びを楽しんだ。

 木の洞の中に置き去りとなった、大きな卵。皆が、川へ顔を洗いに行っている間、辺りには誰もいなかった。
 ぴくり。
 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、卵が動いた。
 だがそれを見ている者は、誰一人としていなかった。


第1話へ行く第3話へ行く書斎へもどる