第5話
太陽から降り注いでくる光が雲で遮られて、卵は光るのを止めた。だがその時、卵がぴくりと動いた。
「あっ、動いた!」
思わず、皆、身構えていた。卵はぴくぴくと動き、やがてその動きで重心がずれたのか、草の上に横倒しになった。
割れない。
卵は横倒しになると同時に、静かになった。
皆、ほっとした。
「ほんとうに……」
ライチュウは口を開いた。
「ほんとうにこの卵が、危険なものなのかな?」
だがアブソルの態度は、ふざけてなどいなかった。ポケモンたちに向かって話すその顔も言葉も真剣そのものだった。ヨルノズク自身も、アブソルがいい加減な性格ではないと言った。しかしながら、目の前の卵の放つ光を見ていると、アブソルの伝えた卵の危険性など全く取るに足らぬことのように思えてしまう。むしろアブソルがこの卵を独占したくてあんな話を聞かせたのだと思いたくなるほどである。
「ねえ」
口を開いたのは、バルキー。
「卵、壊してみない?」
一斉に、皆が驚いたように振り返る。バルキーは突然の注目を浴びて、体を少し縮めた。
「アブソルがあんなに熱心にいうんだ、ひょっとしたら、話は本当かもしれないし……」
誰かが命令したわけでもないのに、一斉に皆が道を開けて、バルキーに進路を作ってやる。卵を壊したいと言う気持ちはこの場のポケモン全てにあるわけではなかったが、それでも、心のどこかでは、卵を壊さねばならないと言うアブソルの主張をみとめていた。
バルキーが卵に体当たりする。ドンと勢いよく卵が転がり、巨木にぶつかった。だが、卵はびくともしない。皆、驚いた。バルキーとバトンタッチし、ワンリキーが空手チョップを、キノガッサが頭突きを食らわせる。だが結果はバルキーと同じ。卵は、転がりはするものの傷一つつかなかった。
それから次々に、ポケモンたちが技をぶつける。サイドンの突進、デリバードの吹雪、ガーディの火炎放射、イシツブテの岩砕き、メガニウムのソーラービーム、ユンゲラーのサイケ光線、ヤミカラスのだましうち。最後にはライチュウが渾身の力でアイアンテールをお見舞いした。
無駄な労力だった。
どのポケモンがどんな技を食らわせようが、卵は傷一つつかず、相変わらず綺麗な光を放つままであった。
「壊れないね……」
誰かが呟いた。
ライチュウは、ぶつけてじんじんと痛む尾をなでさすりながら、うなずいた。
結局、卵は壊せなかった。
日が暮れる頃、卵はまた巨木の洞に移された。ポケモンたちはめいめい木の実採りをして、空腹を満たす。そして寝床に入る。
ライチュウは実りかけのクラボの実を採り、モモンの実と一緒に口に放り込んだ。クラボの実は辛いが、実りかけの段階ではあまり辛くない。甘いモモンの実と一緒に食べると、甘辛い味が楽しめる。
卵の入れてある木の洞に行ってみる。日はだいぶ沈んでしまい、もう誰もいなくなってしまった。ライチュウはひとり、木の洞に置かれた卵を見つめた。今は光がほとんどないため、卵も綺麗に光っていない。かろうじて輪郭がぼんやりとわかる程度の光しか放たない。
しばらく見つめていると、背後からくすくす笑いが聞こえた。
「誰?」
ライチュウは振り向いた。真後ろにポケモンがいる。
「君は――」
そのポケモンとは、ライチュウが卵の世話をすることになった日に遇った。透き通るような青い目、長い尾。
ポケモンはくすくす笑う。ライチュウは、相手が何を笑うのか分からず、問うた。
「なにを、笑ってるの」
「だって、可笑しいんだもの」
ポケモンは笑うのを止めない。
「確かにアブソルの言ったことは正しいよ。半分だけね」
「半分?」
「そ。半分」
ポケモンはそれだけ言って、ライチュウにくるりと背中を向ける。そして、ライチュウが呼び止める間もなく、テレポートで消えてしまった。
「あれは、誰なんだろう?」
ライチュウは首をかしげた。そして、自分の住処に行き、敷かれた草の上に寝転がって眠りについた。
満月がポケモン渓谷を明るく照らす。
その渓谷の崖の上で、アブソルが渓谷を見下ろしていた。
「愚かな……一刻も早くあの卵を破壊せねばならんと言うのに」
「無理だよ」
声が聞こえる。アブソルは身構えた。
「誰だ!」
しかし、声の主は姿を見せない。声だけが、響いてくる。
「あの卵は、絶対に破壊できないよ。人間の機械の力でも、あれを傷つけることは絶対に出来ない。自然に卵が割れるまで、待つしかないのさ」
「何者だ、姿を見せろ!」
アブソルが大声を上げるも、声の主は姿を見せず、話だけ続けた。
「確かに、あの卵の中にいるポケモンは、危険だよ。でもね、アブソル。あの卵から孵る者が危険な存在となるのは、卵を取り巻く環境次第なんだ」
アブソルはきょろきょろと油断なく辺りを見回しながらも、話を聞いている。
「卵から孵る者が危険な存在となりえない方法なら、いくつかある。その中でも最も合理的な方法を教えてあげるよ」
声がやみ、アブソルはきょろきょろするのを止める。何かを熱心に聴こうとしているかのように、その体はじっとしている。
「……なんだと!」
アブソルが突然大声を上げる。その声は、渓谷にこだました。
「あの卵には、そんな秘密が……」
「そうだよ」
声はアブソルに話し続ける。
「確かにあの卵は災厄をもたらす。でも、その災厄をもたらす伝説だけが後世に残ってしまったようだね。そして、君はその伝説だけを頭から鵜呑みにしてしまった」
アブソルの体は小刻みに震えていた。
「卵が孵るまであと一週間あるよ。渓谷のポケモンたちは、卵をどうするか決めかねているようだけど、その決定はポケモンたちにゆだねたほうがいいと思うよ」
「何故だ……」
「だって、誰にも壊せない卵なんだもの。そのままにしておくしかないよ。それに、あの卵がこの渓谷で生まれたってことは、卵は渓谷のポケモンたちを必要としているってことさ。わかるでしょ」
アブソルは答えない。
声は、次の言葉を残し、消えた。
「ポケモン渓谷こそ、あの卵の孵化にふさわしい場所なんだよ」
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