第2話



 目の前に赤が広がっていた。だが、その眩しい赤は、少しずつ消えて行った。
「うう……」
 ルカリオは意識を取り戻した。頭が痛い。額をおさえて起き上がる。目の前がぐらぐらする。しばらくそのままでいてから、周りを見る。焦点の合ってきた世界。戻ってくる感覚。どこか柔らかな場所にいるのがわかる。この感触は砂だろうか。
(確か、砂漠の地下墓地っぽいところにいたはずなんだが……)
 だがルカリオの目の前に広がっているのは、広大な砂漠。しかもその砂の色は血のように真っ赤だった。
「な、なんだこれ! ゆ、夢なのか?!」
 自分の頬をバシバシ叩いてみるが、その夢は覚めない。頬には痛みだけが残っている。景色は全然変わってくれない。もっと強く叩くが、景色は一向に変化しなかった。
「夢じゃありまっせん!」
 声が聞こえ、目の前に、遺跡で出会ったあのポケモンが姿を見せた。
「これはれっきとした現実でっす! いい加減そんなバカバカしいことはやめてくだっさい! 時間のムダでっす!」
 耳元で叫ばれ、ルカリオはこれが現実だと認めざるをえなかった。叩き続けた頬は痛かった。
「わかったわかった、これは現実。現実」
「そうそう」
 ポケモンはまた甲高い声をあげた。ルカリオは思わず耳をふさいだ。この甲高い声は大の苦手な音だ。
「んもーっ、あなたがあの石に触ってしまうなんって! まあアタクシの過失だからこうなったのは認めますけど、好奇心はニャースをも殺すなんてことわざが――」
「わけのわからんこと喋ってないで、どうなったのか説明してくれないか! ここはいったいどこなんだよ!」
「わっかりました! そもそも事の発端は、アタクシのご主人さまがおつくりになったあの赤い石にあるのでっす! あれはご主人さまがご自分の記憶をあの石に封じ込めた、特製の封印石なのでっす! でしたがその石がアタクシの過失で割れてしまって、アタクシ困っていたのでっす。このままにしておくと大変なことになるのはわかりきってまっしたから! で、探して拾い集めようとしたのですけっど、生きているあなたが石に触ってしまったから、ご主人さまの生前の記憶が解放されて、アタクシたちはこのご主人さまの記憶の世界に飛ばされてしまったのでっす!」
 息を継ぐひまもなく一気にしゃべった。とんでもない早口でまくしたてられたルカリオはぽかんとしていた。
「おわかりいただけまっして?」
 こくこくと反射的にうなずいてしまっていた。
「そうだ、俺が触ったせいでこうなったって言ったけど、どういう事なんだよ」
「アタクシは、生前人間だったんでっす! 時間が経ってポケモンとして生まれ変わりましたけっど。アタクシ、見ての通りゴーストポケモンでっすの。でもあなた活きてるポケモンだから、あの石触っちゃったせいでご主人さまの生前の記憶が解放されてしまったのでっす。最初から死んでるアタクシが触っても別に何にも起きないけれど、生きているものが触れば、あの石は反応する仕組みになっていたんでっす。おわかりいただけまっして?」
 暫時の沈黙。
 たぶん、ルカリオが口を開くまでに一分以上はかかったであろう。とんでもない饒舌ぶりに、ルカリオの頭が付いて行かなかった。
「俺のせいでこんなことになった、って事でいいんだよな。じゃあ、俺たちが元の世界に戻るにはどうしたらいいんだ」
「この記憶の世界にある、赤い石に触れるしかないのでっす」
「で、その石はどこだ。俺は何も持ってない」
「これから探すのでっす!」
 言うなり、ポケモンはルカリオに詰めより、目と鼻の先まで顔を近づける。
「石探し、協力していただけまっすね?」
「……おう」
 こうとしか返事のしようがなかった。
「よろしいでっす」
 ポケモンは離れた。ルカリオはほっと息を吐いた。
「では、短い間ですが一緒に探し物をするわけですから、まあ自己紹介させていただきまっす!」
 ポケモンがまた詰め寄ったので、驚いたルカリオの尻尾がピンと立った。
「アタクシ、デスマスと申しまっす! あなたは?」
「お、俺、ルカリオ……」
「おー、ルカリオさんでっすね! ではさっそく、旅立ちといきまっしょ!」
 さっさとフヨフヨ浮きながら出発したデスマスの後を、ルカリオはあわてて追った。こんなわけのわからない場所に置いてきぼりにされるのは、嫌だった。

 どこまでも続く赤い砂漠。空は夕焼けのように赤いが、太陽はどこにも見当たらない。
「この砂漠、本当に過去の記憶なのか?」
 ルカリオは、隣をフヨフヨと飛んでいるデスマスに問うた。
「もちろんでっす。アタクシ、この景色を知ってまっす」
「真っ赤な砂漠だし、太陽もないし、これ本当に存在していた砂漠なのかよ」
「もちろん存在していまっした。でも、二十年くらい前に、砂漠は変わりまっした。ご覧になりまっすか?」
「ご覧にって、何を?」
「決まってまっす! 過去の映像でっす!」
 デスマスの目がギラリと不気味に光った。きっと映像なんてろくなもんじゃないぞと思ったルカリオは断った。たとえ見てやったとしても、感想でも求められたら困る。
「いや、いいよ。やめておくよ」
「そうでっすか。残念。感想文でも書いてもらおうと思ったんですけっど」
(やっぱりそうきやがったか。断ってよかったよ)
 しばらく二人は進んでいった。方角を定めるものは何もない。ただ歩いているだけだった。
「おい」
 たまらずルカリオは話しかける。デスマスは少し先にいたが、ルカリオを見た。
「何でっす?」
「お前さ、方角わかってんの?」
「もちろん。ワタクシの記憶に間違いがなければ、この先に小さなオアシスがありまっす」
「間違いがなければって、間違っていたらどうなるんだよ。こんな場所で遭難するのは嫌だぞ!」
「わがままさんでっすねー、あなた」
 デスマスの言葉が正しかったのは数分後に証明された。確かに、小さなオアシスが見つかったのだ。だがそのオアシスの周りに生える植物は枯れている。水はちゃんとあるのに。
「喉渇いたな、そういえば」
 ルカリオは水を飲もうとしたが、デスマスはそれを阻止した。
「駄目でっす。これは記憶を再現したにすぎないんでっす。だから、飲んでも意味がないのでっす」
「どうして、意味がないんだ?」
「そうでっすねえ。蜃気楼ってご存知でっすよね? 光の屈折で、この場にあるはずのないものが見えるっていうやつでっす」
「うん」
「その蜃気楼をあなたは口にしようとしてるのでっす。幻を口にしようとしてるのでっす」
「飲めないのかよ」
「そういうことでっす。ここにあるものは皆、過去の記憶を再現した世界にすぎないのでっすから」
「ひでえ。腹減ってるのに……」
「我慢我慢」
「うう……しかも疲れてるんだぞ、俺」
「我慢でっす。赤い石を手に入れるまで。アタクシの記憶が正しければ、このさらに先に遺跡があるんでっす。今の時代でいうと、あなたが墓泥棒をするために入ってきた場所でっす」
「だから俺は墓泥棒なんかじゃないってば!」
 しかしデスマスは無視して先に進んでいった。ルカリオはぶつぶつ言いながらその後を追った。
「とりあえず、一休みできる場所でっす。アタクシも疲れてまっすから、休みまっしょ」
 赤い砂漠の中にたどりついた、不自然なほど真っ白な石で造られた遺跡。柱が何本か建っていて、地下へ続く階段がある。これだけは、ルカリオがあの遺跡を見つけた時と同じだ。
「壊れてるんじゃなくて、最初からこんな作りだったのでっす」
 デスマスはさっさと降りて行く。ルカリオは波導を送ってみたが、デスマスの波導以外はなにも感じ取れなかった。とにかく後を追って降りてみる。砂は吹きこんでおらず、地下室は綺麗だった。石の棺も見当たらない。
「ねころがって休めますから、どうぞごゆっくりしてくだっさい」
 デスマスは遠慮なく、壁のくぼみに入り込んだ。
「ゆっくりしろって言われてもなあ」
 ルカリオは床をさんざんなでまわした末、やっと寝転びやすそうな場所を見つけ出した。
(俺、本当に戻れるんだろうか……)
 いろいろ不安を抱えていたが、ルカリオの目はそのうち閉じてしまった。
 静かな石の地下室に、寝息だけが規則的に音を立てていた。


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