最終章 part2



 ウィルとイーストランドが、息を切らして駆けつけてきた時、最初に見たものは、氷づけになったモンスターの死体の山の傍に倒れたタイゾウと、それを見下ろすなかば放心状態のシンイチであった。
「シンイチ!」
 ウィルの声を聞いて、やっとシンイチは皆の方を見る。その顔は青ざめている。
「あ、お帰りなさいませ……」
「おかえりじゃねえよ! お前、怪我してるのか?!」
「手傷ならば治療いたしました」
「シンイチ、ここで何があった?」
 次に問うたのはゼンゲンであった。シンイチは、ここでタイゾウと戦っていた事を説明した。
「おぬし、タイゾウを斬ったのか……?」
「……怒りにまかせて斬りつけてしまいました。しかし、タイゾウは死んではおりません。出血と峰打ちで気絶しているだけでございます」
 なるほど、シンイチの握っている刀は、峰が外に向いている。シンイチはタイゾウを切ったのではなく、脳天に峰打ちを見舞ったのだ。だが、刃にはどすぐろい血がついている……。
「タイゾウが絶命する前に、プリズンへ引き渡しましょう……」
「おい、でも――」
「わたしの気が変わってこいつを殺める前に、早く!」

 タイゾウはプリズンへ引き渡され、白魔道士たちが骨を折って治療した。シンイチに斬られた上にタイゾウの自然治癒力がおそろしく弱体化してしまっていたため、プリズンにかつぎこまれたときは死の一歩手前だった。後にウィルが話したところによると、聖戦の薬の飲み過ぎによる副作用ではないか、とのことであった。
 タイゾウが捕まったことで、デュアルホーンおよびタイゾウによる脅威は完全に消え去った。
 一方、シンイチは大目玉をくった。タイゾウを捕らえることができたのは誉めるべき事だが、一歩間違えばシンイチが殺されていたかもしれないのだから。
 さて、昼寝していたボロンとガブりんは、マーシアが風の精霊に結界を張らせたことで外の音が遮断されていたために一度も目を覚まさず、夕方近くまでぐっすりと寝ていた。彼らは何も知らずに昼寝を楽しんでいた。それゆえ、血だらけの着物で帰ってきたシンイチを見て仰天し、泣きだしたのだった。

 フロージスの事件から数週間ほど経った。イーストランドは、いったん本国に戻ることになった。タイゾウを本国へ連れて帰り、シンイチの里へひきわたすためだ。必要な手続きをすべて済ませるには時間がかかったが、それが終わるとタイゾウは厳重に魔法で拘束され、ユトランド治安管理局の兵士たちとともに、フロージスのエアポートから飛空艇へ乗せられる。そしてイーストランドもそれに乗る。
 飛空艇に乗り込む前、ゼンゲンはシンイチに言った。
「シンイチ、一度故郷へ戻らんか? ユトランドに来て一年ほどになるのだろう、そろそろ家族の顔を見たくなったころではないか?」
 だがシンイチは首を横に振る。
「いえ、わたしはまだ修行中の身の上。戻るわけにはまいりません。あっ、恐れ入りますが、お願いしたい事がございます」
「何だ?」
「わたしの里にお着きになられたら、わたしの父にこれをお渡しくださいませんか」
 シンイチが差しだしたのは、手紙と、万華鏡。手紙には家紋が小さく描かれている。ゼンゲンはそれらを受け取った。
「わかった。必ずや、おぬしのお父上に渡す」
「かたじけなく存じます」
 シンイチは深く頭を下げた。ゼンゲンは彼に背を向け、搭乗用ゲートへと歩いていく。
「ついでに、おぬしがどれだけ無茶な事をやらかしたかも、報告させてもらう。お父上のためにも、そしておぬしにその刀を預けた剣士のためにも、今後はあのような愚かな事をしてはならんぞ」
「は、はい……」
 シンイチは真っ赤になった。
 飛空艇がエアポートから飛び立つ。シンイチはエアポートの大きな窓から、その飛空艇が東の彼方へ消えていくのを見送った。
(わたしはタイゾウを殺めなかった。それで、良かったんだ。己の手を血に染めて奴を討ちとっても、わたしが殺人者になってしまうだけだ。それでは母上が悲しむ……)
 回れ右してロビーへ向かう。
(国へ戻されたタイゾウは皆の手で裁かれる。わたしの出る幕はもう無い)
 涙が一筋、頬を伝わって流れた。
(これでいいんだ……)
 ロビーに戻ってきたシンイチに、ウィルは声をかけた。
「あれ、お前一緒に帰ったんじゃなかったのか?」
「いえ、お見送りしただけです」
「えっ、シンイチにいちゃん、帰っちゃうの?!」
「帰らないよ、ボロン。だから袴を引っ張らないでくれ!」
「でももう一年くらい経つんでしょ、ご家族に顔を見せてあげたら? せめて手紙とか書いてもいいんじゃないかしら?」
「手紙ならお渡ししました」
「そう。でもいつかは自分の脚で故郷の土を踏んだ方がいいと思うわよ」
「わたしはまだ修行中の身ですので……しかしいつかは帰国する予定です」
「いつかって、帰りたくねえのかよ、お前。まあそんなことより、ちょいと話があるんだが」
 マーシアにボロンとガブりんのお守をさせている間、ウィルは話す。以前から考えていた事だが、ボロンを学校に入れるつもりなのだという。旅ばかりしていては同年代の友達も出来ず、社会性も育たない。幸い、日常生活に困らない程度の読み書きや簡単な算術が出来るので、入学させても授業には何とかついて行けるのではないだろうか。
「最低限の教養や一般常識なら俺らでも教えられるけど、人づきあいみたいなモンは教えるよりも実際に周りに接しながら身につけたほうが早いんだ。入学にあたっては、どうしても保護者は必要だから、俺らが名義上での保護者になるほかないけどな。だから、マーシア! 何度も言うが、結婚じゃないからな!」
「もー、照れないでよ、ウィルったらー」
「寺子屋……いや、学校ですか。学び始めるにはちょうどいいころだと思いますよ。しかしボロンは嫌がりませんか?」
「いいや。それどころか、前々から憧れていたんだとよ」
「それなら大丈夫ですね」
「学校も住居も、よさそうな所があるから、俺らはこれから色々手続きとかで忙しくなるけど、お前はどうするんだ?」
「一週間ほど、一人で旅をしたいのです」
「短いな。でも、なんで一週間なんだ」
「ボロンがわたしから離れても大丈夫なように、少しずつ訓練せねばなりませんから。このままでは今まで以上に甘ったれになります」
「ま、そうだよな。お前もずっと子守は辛いだろうし。そろそろ羽を伸ばした方がいいだろうな」
「……」
 人探し。それがシンイチの本当の目的だった。

 トラメディノ湿原。
 夜中前、シンイチは移動の魔法陣の力で、カモアの宿の一室から、小屋の中に現れた。それをとがめもせずに、湿地の魔女は優雅に笑った。彼女の背後にある棚には、シンイチの魂の半分が保管されている瓶が置いてある。白く弱い輝きを放つ彼の魂は、瓶の中で寂しげに浮いている。
「あのタイゾウとか言ったヒュムの男と戦うのに必要だと思って調合してやった目薬、役に立っただろう?」
「はい。しかしあの目薬の効果は一体――」
「あれは、古代呪法がまだ使われていた時代に作られていた、特製の目薬さ。昔、魔術師の軍団の張り巡らせる魔力トラップや術の探知のために、術の使えない一般兵士用に作られたものだよ。ただ、薬と人との相性があってね、相性が悪ければ失明し、相性が良ければ坊やのように魔力を見る事が出来るようになるんだ。その欠点ゆえに実戦ではそんなに使われなかった。部隊まるごと一つが視力をなくして使い物にならなくなるよりも、手間暇かけて優秀な魔術士を一人育て上げる方がずっといいからね」
 シンイチはぎょっとした。では、シンイチが目薬で失明したら、湿地の魔女はどうするつもりだったのだろう。……怖くて聞けない。
「今では、高位の術を修めていれば誰でも魔力の探知は出来るからね。その技術が生み出されてからは、この目薬は使われなくなった。でも、術を知らぬあんたにはちょうどよかったろう、ふふ」
「た、確かに、タイゾウと戦う時にはとても役に立ちました。わたし如きにここまでして下さるのは本当にうれしゅうございますが――」
「その理由を知りたいんだろう? 前にも言ったが、あんたのことは、観察対象として気に入った。それだけのことさ。だから、あんたに死なれては困る。魔術を扱えるものと戦うのに必要な魔力を見る目薬を作り、死んだ時の保険として魂を半分保管しているのはこのため……分かったかい、坊や」
「は、はい」
 そうは言ったもののシンイチは内心、
(だが、その対価としてわたしの心身に呪いをかけるのは如何なものかと思うが……。いや、わたしが一生かけて稼いでも払いきれないような莫大な金を要求されるよりはいいか……)
 シンイチを帰してから、魔女は笑ってつぶやいた。
「あんたはね、このあたしが生まれて初めて本気で手に入れたくなった、たった一人のヒュムだからねえ。呪いをわざわざ緩めてかけたのは、反抗心の無い完全な操り人形では面白くないからだし、体に魔法陣を刻んだのは、いつでもあたしの望む時に、あたしの手元に置いておけるようにするため……ふふ」

 イーストランドがユトランドに戻ってきたのは、緑陽の月に入る数日前。二ヶ月も祖国にいたのは、各地で起こる小競り合いや盗賊退治に狩りだされていたかららしい。カモアのパブで、シンイチ、ウィル、マーシアはイーストランドから話を聞いた。ボロンは近所の子供たちと一緒に遊んでいるので、話の邪魔をされることはない。モンスターなのにガブりんも石蹴り遊びに加わっているが、なぜか子供たちの人気者になっている。
 タイゾウは、国へ戻された後、死刑となった。もちろん、裁判を終えた後に死刑の判決が下されたのだ。タイゾウは、シンイチの里以外の場所でも大量殺人を犯しており、その罪も併せての判決であった。それからイーストランドはシンイチの家を訪れ、彼の父に手紙と万華鏡を渡したついでに、ユトランドでシンイチと会った事について細かく伝えた。末息子とは全く似ても似つかない厳めしい顔をした父・ゲンゾウは最初のうちこそ顔をほころばせていたが、タイゾウを怒りに任せて斬ったと聞くと、
『あの馬鹿息子が! 情に流されて相手を斬るとは未熟者! もしタイゾウをそのまま殺めておれば、わしは親子の縁を切るだけでは済まさなかった!』
 と、途方もない剣幕で怒りをぶちまけた。それは座布団に正座していても飛び上がってしまうほどの迫力で、あれほどの剣幕で怒鳴られたのは初めてだったとゼンゲンは苦笑いした。一方で、シンイチは真っ赤になった。
 手紙と万華鏡の礼にと、シンイチの父はイーストランドに宿泊を勧めた。彼らはその厚意に甘えて一泊したが、ゲンゾウの長男コウタロウからシンイチについて質問攻めにあった。その時、家族の写真を見せてもらったが、四兄姉の中でシンイチだけが母似の優しい顔立ちだった。顔は母似だが気性は父似だと聞かされると、イーストランドはその通りだと思った。激怒した時にシンイチが怒鳴る様は父親そっくりだったから。翌朝発つ時、目がやけに赤くなっているゲンゾウから手紙を渡された。
「お父上から手紙をお預かりしてきた。そして、言伝もな」
「かたじけなく存じます」
 シンイチは手紙を受け取った。
「父からの言伝とは?」
「……『異国からその名を伝え聞くほどに腕を上げるまで、里に戻る事まかりならん』とのことだ」
 シンイチは目を丸くしたが、やがて微笑んだ。
「父がそのように申すのならば、そのように致しましょう」
「東の国の言いまわしはよくわからんが、お前はそれでいいのか?」
「はい」
 ウィルの問いかけに、シンイチは迷いの無い返答をした。
 その夜、シンイチは宿で手紙を開ける。懐かしい、力強い父の字が紙面を埋めている。内容はシンプルであり、手紙と言うよりメッセージであった。
『己の決めた道をひたすら進め』
 たったこれだけしか書かれていない。末息子を案じたり無茶を叱ったりするような言葉すら書かれていない。だが、シンイチには、それだけで十分だった。
「父上、ありがとうございます……」
 シンイチは嬉し涙を流し、手紙を抱きしめた。

 緑陽の月。
 シンイチは、特別にイーストランドで一年間修業させてもらえる事になった。
「にいちゃん、にいちゃん! お手紙書いてよ! ちゃんと帰ってきてよ!」
 ボロンは、シンイチにしがみついている。この二ヶ月間シンイチは一人でどこかへ行っては一週間ほどでカモアへ戻る短い旅を繰り返していたので、ボロンはそれに慣れてきたのだが、一年というのは長すぎた。
 かがんで目線を合わせたシンイチはボロンの頭を撫でてやり、
「手紙も書くし、ちゃんと戻ってくるよ。今までもわたしは戻ってきたじゃないか。それより明日から学校だろう。一生懸命勉強して、友達をたくさん作って、先生の言う事をよく聞いて、いい子にしているんだよ」
 それでもボロンは泣いた。ガブりんは、かがんでいるシンイチの背中によじ登って、離れたくないと言わんばかりに頭にしがみついた。シンイチはボロンが泣きやむまで待ち、それからガブりんを頭からおろす。ガブりんは不満そうに唸った。
「ウィルさん、マーシアさん。ボロンたちをよろしくお願いします」
「ええ、もちろんよ」
「手紙だけじゃなくて、出来れば顔見せに戻ってこいよ」
 マーシアはウィルにべったりひっついて、にこにこ顔。ただ単に同棲しているだけなのに、彼女の中では結婚したのと同じ。長年の夢がかない、嬉しくて仕方ないのだ。一方でウィルは諦めきった顔をしている。逃げ続けるよりは、いっそ同棲したほうがマシ。そう考えたのかもしれない。
「お二人には色々ご迷惑をおかけして――」
「あー、もういいって。気にするなよ。お前が何かしら厄介事を抱えてくるのはいつもの事だし、今更一つ二つ増えたって構やしないって」
「かたじけなく存じます」
「そのかたじけないってどういう意味だ?」
「この場合は、身にしみてありがたいという意味です」
 それからシンイチはお辞儀し、ボロンたちに手を振った。ボロンとガブりんは手を振り返した。
「シンイチ、もういいか?」
 少し離れたところから、ゼンゲンが問うた。シンイチはあわてて駆け寄った。
「大変お待たせして申し訳ございません。では、参りましょう」
 イーストランドとシンイチの姿が見えなくなると、ボロンはマーシアにしがみついて泣きだした。ガブりんのヘタがしおれてしまった。マーシアが慰める一方で、ウィルは、シンイチたちの去った方角をずっと見つめていた。
(異国から故郷に名が伝わるほどの凄腕剣士か。あいつなら、いつかやってのけるかもしれないな)

 ビスガ緑地の夜。南の空へ昇ろうとする満月が、厚い雲の向こうへと隠され、辺りは暗くなった。
 シンイチは、草の上に座りこんで、荒く息をついた。イーストランドは明日に備えてもう眠っている。先ほどからシンイチは一人で修練を積んでいたが、昼間の疲労がたまってくたびれたので今は休憩だ。水筒から水を一口飲み、ふうと息を吐く。冷たい夜風が、ほてった体を少し冷ます。
(くたびれた。日中は雑用ばかりだったからな。だが、ゼンゲン殿の御厚意で修行させていただいている以上、弱音や文句や泣きごとは言わんと決めたんだ! このぐらいでへたばってどうする!)
 彼は立ち上がり、刀を構えて素振りを始める。しばらくすると明るい満月が雲の隙間から出てきて、地上に光を幾筋も投げかける。
 一筋の月の光が、大きな岩を照らし出す。
「あっ……」
 彼は思わず手を止めて声をあげた。岩の上にギィが座って彼を見ていたのだ。……だが、それはただの思いこみ。苔むした岩の上には何もない。影が、岩に座っている人のかたちをしているだけ。
 しばらくしてから、シンイチは、流れ落ちた涙を拭いて、素振りを再開した。さっきよりも、さらに真剣な面持ちで。
 刀を振るうたび、刃に月光が反射し、美しい銀の弧がいくつもシンイチの頭上や前方できらめいた。
 満月は彼を見守るようにやさしい光を投げかけながら、南の空に昇った。



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ご愛読ありがとうございました!
異国出身のシンイチの目を通してユトランドをめぐるお話。
ゲームのキャラは何らかの形で登場しますが、シンイチとガリークランとのかかわりは、間接的なものに留めています。
ギィをシンイチに深く係わらせたのは、シンイチが修行の旅をする以上、目標となる人物がほしかったのと、
2年も引きずってきた、母の死による悲しみから立ち直らせるきっかけを作りたかったからです。
強引に係わらせたのでギィが結構身勝手なキャラに変わってしまいましたが……目的は果たせました。
未熟な部分も多々ありましたが、楽しんでいただけたならば幸いです。
連載期間:2011年1月〜2011年11月

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