第6話
沈黙があたりを支配した。
皆、自分達の身に何が起こったのかを説明したあの声の言葉を、理解できなかった。
生きながらにしてあのオレンの実を口にした自分達は、もはや死者と同じ……。
目の前のポケモン渓谷が突然闇に閉ざされる。だがすぐに闇は開けた。目の前に広がったのは、迷い込んだあの洞窟の奥底。
『これでわかったろう』
声が何処からか響いてきた。
『お前達はもはや私と同じ……二度と生者の世界には戻れぬ身』
同時に、ズシンズシンと、どこからか物音が響く。足音だろうか。
洞窟の壁の一部が開け、暗黒が姿を見せる。そしてその暗黒の内部から、巨大な灰色の脚が姿を見せた。続いて、その脚の上に、首を上に向けねばならないほど巨大なポケモンが姿を見せた。
とどろくような声が、闇の中から響いてきたあの声が、そのポケモンの口から発せられた。
「我が名はギラティナ。生と死の狭間の世界に住む者だ」
生と死の狭間の世界。
「生きている者でもなく死んでいる者でもない、お前達は、この狭間の世界でしか存在できない身。この狭間の世界を統べる私と同じように、生者の世界に足を踏み入れることも、死者の世界に足を踏み入れることも出来ないのだ」
ブイゼルたちは、目の前の、巨大な山のようにそびえるギラティナの巨体を凝視したまま、身動きも取れなかった。その灰色の体からは、ブリザードのような冷気が放たれており、見下ろしてくる目は赤く冷たく輝いている。
生者ではない。
死者でもない。
皆、本能的に悟った。
ギラティナは皆の顔を見おろす。そしてその顔に浮かんだ表情を見て、目を細めた。
「私を異質なる者として見ているようだが、それは貴様らも同じ。生者の世界の者から見れば、貴様らも異質なる者だ」
しばらく沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは、ブイゼルだった。
「つまり、僕たちも、あんたと同じって事? 僕たちがポケモン渓谷へ出られなかったのは、あんたと『同じ』になったからって事?」
「そうだ」
ギラティナの返答はあっさりしていた。
「生者でも死者でもない中途半端な存在。木の実を口にして間もないお前たちにはまだ実感がわかぬだろうが、そろそろ、分かるころだろうな」
ギラティナの言葉が何を意味するのか分からなかった。が、しばらく経つと、体が何だか軽くなってきたような、風がスースーと体を通り抜けるような、奇妙な感覚に襲われてきた。
「お前達には心臓があるだろう。そこに手を当ててみろ」
言われるまま、体に手を当ててみる。そこには心臓があって、トクントクンとゆっくり鼓動して――
いなかった。
感じ取れるのは自分の体が在るという感触だけ。
「な、何で……」
エイパムの尻尾が震えて、神経質に地面をはたく。
「心音が感じられないダナ」
ヌオーはひっくり返った。
「心臓が止まってるってのか?」
ルクシオの声は、たてがみよりも震えている。
「貴様らの心臓は鼓動をやめた。だが、お前達は己の肉体の存在を感じ取る事ができる。それこそが、貴様らがこの、生と死の狭間の世界の住人となった証拠だ」
ギラティナはとどろくような声をだす。
「貴様らは生きてもいない。死んでもいないのだ。私と同じように」
その現実を飲み込むのに、どれだけの時間がかかったのだろう。時計の針で数えれば一分程度であったが、皆には、永遠とも言える時間が流れたように感じられたほどだ。
最初に口を開いたのはブイゼルだった。
「生きてもいないけど、死んでもいないって――死んでるわけでも生きてるわけでもないってことだよね?」
「そうだ」
「僕らはそんな中途半端なモノになっちゃったの?」
「そうだ。この狭間の世界でのみ、存在を許されるのだ」
「ってことは、生きてるわけじゃないからポケモン渓谷に戻れなくて、死んでるわけじゃないからあの世には逝けないってことなんだよね……」
ブイゼルの声は尻すぼみになる。何を今更と、ギラティナは冷たく言った。
「そうだ」
一陣の冷たい風が、通り過ぎた。
またしても漂う沈黙の空気。
またしても、現実を改めて飲み込むのに時間がかかった。生と死の狭間の住人になっただけでなく、この暗くて冷たい狭間の世界でしか存在できなくなった。そしてポケモン渓谷に戻ることも、来世へ逝くことも、ない。
エイパムが、地面にへたり込んだ。ヌオーはまたひっくり返った。ルクシオの尻尾が地面にたれ、自慢のたてがみがふにゃふにゃと乱れる。ブイゼルは尻尾を地面にたらしたまま、口を開いていたが、その口からは言葉など漏れてこなかった。
ギラティナは静かに言った。
「ようやっと理解できたようだな。現世と来世の者が互いの世界へむやみに行き来せぬようにこの生と死の狭間の世界が存在する。この世界で足止めし、再びもとの世界へ返すためにな。あの木の実は二つの世界の境界線であり、本来ならば死の世界の食物にあたる。生の世界の者がそれを口にすれば死者となり、存在可能な世界は来世のみとなる。だが、この狭間の世界で食せば、現世にも来世にも足を踏み入れることは不可能になる。この世界は生でもなければ死でもないからだ。私が覚えている限りでは、外部の者もこの世界のことを知っている事が当たり前だったはずなのだが、今は違うようだな。海中の穴に入り、木の実を口にするとは……」
「来たくて来たんじゃないやい!」
ルクシオが吠えた。
「海で泳いでたら、穴を見つけて、覗き込んでみたら、急に穴の中に吸い込まれたんだぜ」
「あの渓谷に、一番の物識りがいたはずだが、海中の穴に近づくなと警告しなかったのか?」
「聞いてないっ」
「ふん。とことん無知になったものだな、全く。生ける者が足を踏み入れるような場所へ、貴様らがのこのことやってくるようではな」
「だから、来たくて来たんじゃないって言ってるだろっ」
ルクシオの噛み付くような声を無視し、ギラティナはくるりと体を後ろに向ける。
「狭間の世界の入り口は、生者の世界のいたるところに存在する。貴様らの入ってきた海中の穴もその一つ」
ギラティナの前方の景色が変わる。ただの闇から、外界の景色へと――
雪景色だ。ぼたん雪が降り、地面の銀世界へと積もっていく。
「これは外の世界の一つ。だがこの場所にもこの世界への入り口がある」
凍った池が、景色の端に見える。その池を見ると、青白い揺らめいた炎がぼんやりと見えた。
「あの炎が、入り口を示している。普段は炎など見えず、ただの池になっている。だが、ごくまれに、炎が勝手に出てきて、入り口が開く事がある」
池の炎がボッと光って、消えた。
「入り口は閉じたな。だが、私はこの世界の入り口を開閉する力を持たぬ。あくまでこの世界の存在者としてのみ、ここにいることを許されているだけ……」
雪景色は消えた。
「じゃあ」
エイパムは自分の尻尾で頭をかきながら、問うた。
「オイラたちがあの海の中の穴に吸い込まれたのは……」
「あの入り口が開いたからに他ならない。だがそれ以前に、近づいてはならない場所として知られていなければならないはずなのだがな」
ギラティナは振り向いた。
「お前達に、もう一つの世界を見せてやろう。だがお前達はこの世界にも足を踏み入れることは出来ない」
ギラティナの目の前に、もう一つ別の光が差す。だがこの光は、ブイゼルたちの知っている光ではない。太陽のように眩しいけれど、もっと冷たい光。
やがて、冷たくて白い光は、大きな円を描く。その円の内部には、より冷たい、真っ黒な光が満ち溢れてきた。
ギラティナは言った。
「これは、死の世界の入り口だ」
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