第3話



 こっち、こっち。

 そのかぼそい声と、顔に当たる雨粒で、ユウスケは眼を開けた。彼が目を開けると、灰色の世界から雨つぶがぽつんと降ってきて、眼に当たった。彼は反射的に目を閉じた。
 雨水が目にしみる。それの痛みがひいてから、再び目を開ける。どんよりした灰色の世界がまず視界に広がる。灰色の世界に焦点が合いはじめるにつれて、体の感覚が徐々に戻ってくる。自分が何処か冷たい場所に横たわっていることを知る。そして、その傍には友も横たわっている。
 ユウスケは何とか身を起こす。堅い地面に横たわっていたせいか、体が痛む。ユウスケが友を乱暴に揺り起こすと、ヘイタはまもなく眼を開けた。
「大丈夫、ヘイタ?」
「う、うん……? あ、ユウスケかあ?」
「うん」
 身を起こしたヘイタは、ユウスケと一緒に周りを見る。
「なんだ、ここは」
 周囲は、錆だらけの遊具にあふれていた。ペンキがはげおちたメリーゴーランド、壊れた巨大なティーカップ、倒れている露店用の荷車……。いずれも、長く使われていないのはわかりきっているのだが、見覚えがあるものばかりだ。
 ここは、遊園地の中だ。
 正門は二人から少し離れた所にあったが、錆だらけの門はぴったりと閉じられていた。二人は立ちあがって、帰るために門を開けようとしたが、押せども引けども、びくともしない。
「い、一体どうなってるんだ?!」
「あ、開かない……!」
 門の向こうには、いつもの日常風景が広がっている。車が車道を走り、時々遠くから飛行機の飛ぶ音も聞こえ、豆粒サイズの住人が道を歩いている。なのに、この門は開かない。よじのぼろうにも、門が高すぎてとても無理だし、足場になりそうな遊具も見つからない。背の高いユウスケがヘイタを肩車しても、届かない。最後に、おーい、おーい、と大声を何度もあげてはみたものの、その声に気が付いてくれる通行人は誰もいない。二人は、門の格子を掴んで力の限り揺さぶりながら(それでも多少ぎしぎしと音を立てただけだった)、大声を出して助けを求めた。
 徒労に終わった。
 叫び疲れた。誰かに連絡しようと、ふたりは携帯電話を取りだした。が、なぜか圏外になっている。
 遊園地に閉じ込められた。ぽつぽつと降ってくる大粒の雨の冷たさと共に、その現実が二人の上にのしかかってくるまで、時間はさほどかからなかった。
「何でだよ……」
 半ばかすれた声で、先に口を開いたのはヘイタだった。
「何でこんなことになっちゃうんだよ?!」
 その大声の直後、稲光が空を引き裂き、雷鳴がとどろいた。

 あそぼうよ。

 耳をふさぎたくなる轟音と一緒に発せられた声は、はっきりと、ユウスケとヘイタの耳の中に聞こえてきた。
 二度目に、稲光が空を引き裂き、辺りが一瞬だけ真っ白な光に包まれる。再びとどろく雷鳴と、少しずつ激しくなる雨。

 あそぼ。

 稲光で眼がくらんだユウスケとヘイタの、ちょうど中間。そこに、彼女はいた。
 眼のくらみが治った二人は、いつのまにか現れたその少女に仰天した。
 丸っこいピンクの体、短い手足、赤くて大きな目。
 ムンナだ。
 ムンナの少女は、雨に打たれながらも彼女を凝視しているユウスケとヘイタを交互に見る。

 ねえ、あそぼ。

 先ほどの轟音の中で聞こえてきた先ほどの声が耳の中に聞こえてきた。
 三度目の稲光と、直後の雷鳴。三度、眩しさのあまり、ユウスケとヘイタは反射的に眼を閉じた。
 いっしょに、あそぼ。

 その声が耳の中に響く。眼のくらみが治ったユウスケとヘイタはおそるおそる眼を開ける。
「あれっ?」
 二人は再度仰天した。なぜって、先ほどのムンナの少女が、消えていたのだ。
 稲妻とともに現れ、稲妻と共に消えた。

 こっち、こっち。おにごっこしようよ。

 姿はないのにまた声だけが聞こえてきた。
 雨がどんどん強まってくる。雨具のない二人の服はずぶぬれだ。だが二人はそれに構わず、声の聞こえてきた方向に、同時に首を向ける。
 雨に打たれて濡れているティーカップの傍に、ムンナの少女がいる。

 あたしをつかまえて。おにごっこだよ。

 その言葉と共に、少女は回れ右し、遊園地の奥へと向かう。しかし、状況が呑み込めていない二人は、なかなか体が動かない。

 はやく来てよう。あたしをつかまえたら、この遊園地から出してあげるよ。

 少女は、ふわふわと浮きながら、遊園地の奥へ向かった。
 雨に打たれながら、ユウスケとヘイタはしばらく少女の背中を見つめていた。立て続けに起こった出来事で、頭の中がまだ混乱している状態。遊園地に閉じ込められたと思ったら、追いかけっこをしようという謎の少女が現れた。現状を整理するとこんなところだろう。しかし、その状況を受け入れることがなかなかできない。
 雨に打たれる中、先に動いたのはユウスケだった。
「ど、どうしよう……?」
 やっと口にできた言葉はそれだった。
 その頼りない声で、ヘイタが我に返った。
「どうしようって、どうしようっていうんだよ、お前え」
「どうしようって言われても……」
 おろおろするユウスケ。まだ混乱した頭を精一杯回転させようと頑張ってはいるのだが……。
 おろおろしたままのユウスケに、ヘイタはずかずか近づいて、
「お前なあ! いいかげんにしろよ! お前がここにこなかったら、こんなミョウチキリンなメにはあわずにすんだのによ! どうしようじゃねえよ、責任とれよ!」
 ユウスケの顎に頭突きした。鈍痛に、尻もちをついて痛がるユウスケ。
「お前が悪いんだろ! こんな寂れたとこに来て、つまんない思い出に浸ってなけりゃ、こんなことにはならなかったんだよ! 俺まで巻き込んでくれてよ、マジでメーワクなんだよ、マジで!」
 痛がるユウスケに、ヘイタはさらに詰め寄る。
「だからって頭突きすることないだろ!」
「うるせー!」
 ユウスケの言葉にヘイタは怯まない。それどころか、さらに、尻もちをついたままのユウスケに再度頭突きを食らわす、何度も何度も。それほど、ヘイタは苛立っており、錆だらけの遊園地に閉じ込められた原因であるユウスケに八つ当たりしているのだ。
 ユウスケは胸や腹にヘイタの頭突きを何度も喰らって痛みでうめきもがいた。が、そのうち怒りが痛みを上回り、
「やめろったら!」
 とうとう、怒りにまかせて、ヘイタを蹴り飛ばした。むき出しの地面に、蹴り倒されるヘイタ。だがすぐに、飛び起きる。
「何するん――」
 ユウスケに掴みかかろうとしたところで、稲光が辺りを白く染め、雷鳴が激しくとどろき、巨大な稲妻が落ちた。
 稲妻は、錆だらけの遊具を直撃した。その衝撃で地面は軽く揺れ、錆だらけのティーカップは砕け散って破片を辺りに飛ばす。小さな破片は、辺りの柵や他の遊具、それどころか、掴みあいの喧嘩を始めそうなヘイタとユウスケにも飛び散っていった。数センチ程度の大きさの破片であってもそれは金属、強くぶつけられればそれなりに痛い。
 細かく砕けたその破片を、ユウスケとヘイタはいくつも全身にぶつけられた。鋭い痛みが服の上から伝わったが、素肌にも直接ぶつかったそれのほうが遥かに痛みが強かった。
 思わぬ痛みで怯んだ二人の近くに、稲妻が落ちる。雲を引き裂いた稲妻は、地面を抉り、周囲に衝撃を与えた。ユウスケとヘイタは衝撃で軽く飛ばされ、近くの遊具や柵に体をぶつけてしまう。

 はやくしないと、かみなりおちるよ。

 頭がぶつかった痛みで、しばし動きも思考も停止してしまう二人。だが、その二人の頭の中に、はっきりとその声は聞こえた。先ほどのムンナの少女の声だ。

 はやく、おにごっこしようよ。でないと、かみなりおちるよ。

 再度、稲光と雷鳴。だが今回は、遠くのそれだ。遊園地の外で稲妻が暴れている。
 今度は、痛む体に鞭打って、ユウスケとヘイタは無理やり起き上がり、先ほどの喧嘩も忘れて、あの少女の去っていった方向へ向かって無我夢中で走った。何か考える余裕など無かった……。


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